「福沢一族のピアノ・エラール、サントリーホールで甦る」2019/06/09 08:04

高校の同級生で、熱烈音楽愛好家の戸島幹雄さんから、「福沢諭吉一族のエラ ール、サントリーホールでよみがえる」という情報を頂いた。 そんな雑誌が あることも知らなかった『ショパン』(昭和59(1984)年5月創刊・(株)ハン ナ)の「歴史を見てきたピアノたち」の2019年5月号の記事である。 エラ ールというのは、19世紀ロマン派ピアノ音楽の発展に絶大な影響を与え、ヨー ロッパで名を馳せたピアノメーカーなのだそうだ。 天才的名工、セバスチャ ン・エラールによって作られたその名器を、ベートーヴェンやショパン、リス トもこよなく愛したという。 このエラールの名器の中でも数少ない大型で、 ナポレオン3世時代の美学を反映した、カエデの木目の美しい1867年製演奏 会用グランド・ヒアノが、2004年にサントリーホールに寄贈され、その所蔵と なって、使用する演奏会が大変な人気なのだそうだ。

 このエラールを寄贈したのが、福沢諭吉の曽孫にあたるエミさんだという。  福沢の四男・大四郎の息子、福沢進太郎は慶應義塾大学法学部卒業後パリ大学 に留学、そこでパリ国立音楽院に留学していたギリシャ人声楽家アクリヴィ・ アシマコプロスと出会い、後に結婚する。 二人がパリの由緒ある家のサロン で出合ったのが、まさにこのエラールで、そのサロンではかつてフランツ・リ ストも演奏したと伝えられているという。 このエラールを譲り受けた二人は 終戦後に日本に持ち帰り、アクリヴィ夫人が自宅で大切に弾き続けてきた。 夫 人の死後、弾かれることのなくなったこのピアノの音色を多くの人に聴いて頂 きたいと、娘のエミさんがサントリーホールに申し入れ、寄贈されることにな ったのだそうだ。

 福沢進太郎さんは仏文学者、奥さんが外人で、その息子が福沢幸雄という人 気カーレーサー、昭和44(1969)年に事故死したことは聞いていた。 奥さ んのアクリヴィさんが声楽家で、戦後多くのフランス歌曲を日本に紹介した人 だったというのは知らなかった。 このエラールが作られた1867年といえば、 明治維新の前年、慶應3年、福沢諭吉は幕府の軍艦受取委員長小野友五郎の一 行に加わって、二度目のアメリカへ行き、多くの原書を買ってきた年であった。