「在野の人」森銑三さんの「馬場佐十郎」2019/06/12 06:26

 「馬場佐十郎」は、二度「等々力短信」に登場していた。 一度は、昭和60 (1980)年4月25日の第354号「在野の人」、その年3月7日に89歳で亡く なった森銑三さんのことを書いた時だった。 森銑三さんは、江戸学芸史の研 究者、書誌学者、伝記家として、数々の立派な仕事を残した。 築地の工手学 校予科卒業後、郷里愛知県刈谷の町立図書館の臨時雇い、小学校の代用教員、 修養誌『帝国民』の編集、東大史料編纂所図書部員、尾張徳川家の蓬左文庫主 任などの職を転じつつ、黙々と研究を続けた。 戦後は井原西鶴の研究を進め、 『好色一代男』だけが西鶴の真作で、他は別の人の手になるという、大胆な説 をとなえた。 こうした経歴と、このような説とが、日本の学界に受け入れら れるはずがなかった。 森さんは、生涯、野にあった。

 佐伯彰一さんは追悼文(朝日新聞3月12日夕刊)で、森銑三さん自身が知 友柴田宵曲をしのんで書いたという文章が、そのまま森さんにぴったりだと、 引いていた。 「氏は著作するのを目的に、著作家として立たんが為に書を読 んだのではない。氏はたゞ書が読みたくて、書を読んだ人だつた。その点が世 のいはゆる読書家たちと違ふ、氏は無目的の読書家だつた。……氏は実に読書 を楽しむ人だつた。書物に親しむこと以外に、何の楽しみも求めようとしなか つた。氏は最も純粋な読書家であつた」「子の如きはどんな時代にも一人二人は ゐてほしい人物である。さうした人がゐなくてはこの世があまり味気ないもの になつてしまふ。」

 私は、日本のガラス工業史の本に、「馬場佐十郎」が文化7(1810)年に『硝 子(びいどろ)製法集説』を訳述したとあるのを読んで、姓が同じだけで、縁 もゆかりもないのだが、どんな人物だったのか、ちょっと興味があった。 先 年、江戸時代の科学者達のことを書いた森銑三さんの『おらんだ正月』(冨山房 百科文庫)のなかに、ちゃんと「通詞から幕府に召出された語学の天才」とい う章があって、馬場佐十郎のことが書いてあるのを見つけて、懸案は解決され た。 語学では、「江戸時代を通じての第一人者」と森さんの言う佐十郎は、二 十歳を越したばかりの時、長崎から江戸に召されて、世界地図やショメールの 百科全書(「厚生新編」)の翻訳に従事したという。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック