湯本の福住から始まった『ブラタモリ』「箱根の温泉」2019/06/15 07:10

資料に『ブラタモリ』#114「箱根の温泉」(2018年10月6日放送)「箱根は なぜNo.1の温泉になったか?」のメモをつけたのは、番組が最初に福沢諭吉 ゆかりの箱根湯本の萬翠楼福住へ行っていたからだった。 熊野神社の所に「温 泉発祥の地」の記念碑があり、奈良時代、1000年以上前にここで温泉が発見さ れたという。 源泉を管理しているのが、1625(寛永2)年創業・萬翠楼福住 の16代目・福住治彦さんで、その源泉や旅館の古い建物内に太い山桜の柱の あるのを案内していた。 湯本温泉は江戸時代には旅館が十軒しかなかったそ うだが、箱根は現在年間500万人以上の観光客が訪れる一大観光地、「なぜNo.1 の温泉になったか?」というのが番組のテーマだった。

萬翠楼福住には、江戸時代の巻物「七湯(ななゆ)の枝折」が保存されてい た。 箱根七湯とは、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、木賀、底倉、芦ノ湯。  この絵入りの枝折、つまりガイドブックによって、箱根七湯巡り、江戸に近い 箱根の温泉の入り方や効用(底倉は痔に効くなど)が宣伝され、箱根七湯は湯 治場から観光地へと発展していく。

 箱根七湯には、強羅(ごうら)がない。 大正8(1919)年、箱根登山電車 が、湯本(標高96m)から強羅(標高541m)まで開通した。 高低差445m、 1/100をパーセント1/1000をパーミルというが、80パーミルという標識があ る(全長15 km(?)の内4.1 km)。 1000m行って80m登るのが80パーミ ルだが、山手線は最大34パーミルである。 塔ノ沢(標高153m)への名所、 出山鉄橋(水面からの高さ43m)を渡る、温泉場が早川対岸にあるため、足場 木材1万本の難工事であった。 出山スイッチバックを3回やって、宮ノ下(標 高436m)に到達する。

 七湯にはなかった終点・強羅、噴火による山体崩壊で早雲山北東斜面に開け ていた岩や石がゴロゴロしていた土地に、登山電車を引き込み強羅公園7400 坪(東京ドームの半分)を中心にして、西洋風高級リゾート分譲地が開発され た。 一区画500坪。 ゴロゴロしていた岩や石が、強羅の地名の由来だそう だ。 地盤が固く温泉が出ないので、大涌谷で硫黄の噴気に水を加えてつくっ た温泉を、木管で2 km運んだ。

 別荘地のVIPの別荘が残っていた。 前方に早川を隔てて箱根外輪山の明神 ヶ岳、明星ヶ岳を望む絶好のロケーション、大文字焼も大正10(1921)年に 始められた。 別荘は、藤原雷太がつくった「石雲山荘」、大岩を取り込んだ建 築、上の間からの眺めが素晴らしい。(2013年3月の黒田康敬さんの「第47 回福澤史蹟見学会記には「神山荘」、世界救世教教団の所有とあった。)

 強羅から早雲山まで1.2 km、6駅のケーブルカーが大正10(1921)年に開 通したのは、リゾート分譲地の生活の足のためだった。 その後、早雲山→大 涌谷→芦ノ湖のロープウェーも作られ、箱根周回観光ルートが完成、箱根は世 界的な観光地となったのである。