幕末軍艦咸臨丸〔昔、書いた福沢70〕2019/06/25 07:02

             幕末軍艦咸臨丸

      <等々力短信 第746号 1996(平成8).8.15.>

 司馬遼太郎さんが「福沢ファン」で、丸山真男さんが「福沢いかれ派」、私 もかっこいいから「いかれ派」を使わせていただいているが、これは「福沢 教」や「福沢宗」ではない。 たとえば、勝海舟という人物を考えるとき、福 沢の『福翁自伝』や『瘠我慢の説』からは、船に弱くて咸臨丸航海中は病人同 様、自分の部屋の外に出ることは出来なかったとか、維新後新政府の海軍大輔 に就任したり、元老院議員、伯爵、枢密顧問官などの栄爵を得た出処進退が問 題になる。 しかし、幕末の争乱に際し、江戸を無血開城して、日本を内乱と いう大混乱とそれに乗じての外国勢力による植民地化から救ったのには、勝海 舟の力が大きかった。 坂本竜馬の先生としての、勝海舟の存在も貴重だ。 それを私は司馬遼太郎さんや、江藤淳さんや子母沢寛さんに、学んだのだっ た。

 司馬さんは『「明治」という国家』(日本放送出版協会)で、万延元年の遣 米使節について、咸臨丸と米艦ポーハタン号の二隻に、三人の「新国家」設計 者がたまたま乗っていたことには驚かざるをえないし、それは日本にとって幸 福だったという。 ポーハタンには改造の設計者・小栗上野介忠順(ただま さ)、咸臨丸には建物解体の設計者・勝海舟と、新国家に文明という普遍性の 要素を入れる設計者・福沢諭吉がいた。

 咸臨丸で思い出すのは、司馬さんが文倉平次郎について書いていたことだ。 (『十六の話』(中央公論社)「ある情熱」) 文倉はいかにも司馬さんの好 きそうな人物で、その名前は、百科事典にも人名辞典にものっていない。 学 者でも文筆家でもなく、社会的立場を表現する肩書は、古河鉱業社員、生涯に ただ一冊の本を書いた。 日本橋の魚問屋に生まれ、洋服屋の養子になった。 洋服作りの修業か、明治十年代に渡米、サンフランシスコで十数年を過ごす。 かの地で咸臨丸乗組水夫の墓三基を発見し、咸臨丸研究にとりつかれる。 帰 国後、古河鉱業に入った文倉は、その余暇をことごとく咸臨丸の調査に費や し、定年後は各地の踏査を始め、関係者の遺族を訪ねて語り残されている逸話 を採集したりした。 昭和13年、791頁の大冊『幕末軍艦咸臨丸』を刊行 した。 司馬さんは一時期、幕末の海軍関係の書物をあさったことがあるが、 幕府の艦船について知ろうとすると、この本を読む以外なく「踏まえられてい る資料の洪(ひろ)さ、精細さは驚嘆すべきものがあり、記述は堅牢で、四十 年間の集成という悲壮さをすこしも感じさせないほどに終始科学的な冷静さを 保っている」という。

猫額庭日乗<等々力短信 第1120号 2019(令和元).6.25.>2019/06/25 07:08

     猫額庭日乗<等々力短信 第1120号 2019(令和元).6.25.>

世田谷の陽のあたる坂道に建っているので、わが家は西洋長屋の二階だが、 狭い専用庭が付いている。 コンクリート部分は、洗濯好きの家内が喜ぶ干し 場で、その先の半分には芝生と植え込みがある。 引越して来た当初、父や兄 の家と工場を整理して、梅、藤、ハゼノキの鉢を持ち込み、花桃を移植した。  汲汲自適の身になって、芝生の雑草を抜き、プランターに花など植えていると 書いたら、「ガーデニングですか」と言われた。 文に書くと広そうに見えるか もしれないが、ほんの猫の額ほどの庭である。

 毎年7月6日に、入谷の朝顔市から行灯作りを一鉢提げてきて、やや大きめ の鉢に移し、ひと夏、毎朝咲いた数を数えて、楽しむ。 昨年は9月20日ま でで373個だったが、724個も咲いた2014(平成26)年の10月27日までの 最高記録がある。

 昨年の6月頃から、この専用庭に雨蛙が住みついて、雨が降りそうになると、 ちゃんと鳴くのである。 暑い日が続いて、とても雨など降りそうになくても、 雨蛙の鳴き声がすると、少し曇って来て、やがて雨が降って来たりする。 余 り話題のない夫婦に、毎朝咲く朝顔の数や色と同様に、格好の話題を提供する のだ。 芥川龍之介に、<青蛙おのれもペンキ塗りたてか>という俳句がある ことなどの話になる。

 子供の頃、ヘラ鮒を釣る父に連れられて、東横線と南武線が交差する武蔵小 杉の駅のすぐ横にあった池に行った。 今はすっかり繁華街になっているが、 当時はまったくの田園風景で、クチボソなど釣って池の周りで遊んでいると、 葦の葉にいる雨蛙を捕まえることができた。 それを家に帰って庭に放してお く。 すると雨が降りそうになると、鳴き出すのだった。 何日か経つと、二、 三軒先の家で、鳴いていたりした。

 今年も雨蛙がしきりに鳴く。 一度は姿を見かけたが、緑色というより白っ ぽかった。 ある日、気紛れでスマホのボイス・メモに、鳴き声を録音して、 雨蛙にも聞かせてやった。 その夜、風呂から出たら、家内が冷蔵庫の前に何 かがいると、騒いでいる。 そばに寄ると、ピョンと跳ねた。 雨蛙だった。  仲間の鳴き声と勘違いでもして、入って来たのだろうか。 捕まえて、庭に放 してやった。 もう鳴かないか、と心配していたら、二、三日後に、隣の隣あ たりの家で鳴き、やがて我が庭にも戻って来た。

 去年、四万六千日に浅草寺をお参りし、雷除けのお札と、風鈴つきの鬼灯を 一鉢、求めてきた。 鬼灯が終った後、これも気紛れで、鉢から出して地植え しておいた。 枯れてしまったかと思ったら、春になって芽を出した。 それ らしい葉っぱが育ち、やがて花まで咲いたのには、驚いた。 そして花のあと に、今は何と実までつけている。

 猫額庭の小自然、夫婦の会話と俳句作りに、格好の材料となっている。