林家正蔵の「四段目」2019/06/06 07:20

 子供の集中力はすごいと、正蔵は始めた。 アニメの、どのシーンも頭の中 に入っている。 浅草演芸ホールは、客と芸人が同じ出口なのだが、40歳ぐら いの母親と中1というお嬢さんと一緒になって、サインをしてくれというので、 サインをしたら、隣に「ペペ桜井」とあった。 写真も一緒に撮ったら、小1 で「寿限無」の言い立てを憶え、区民センターの落語教室に通って、持ちネタ は36席あるという。 プロの前座より多いかもしれない、もしかしたらウチ の弟より出来るかも。 噺家さんは誰が好き、と聞いたら、五街道雲助。(拍手)  娯楽に夢中になるのも、いいかもしれない。

 番頭、いいから、こっちへ来て、貞吉はどうした、また芝居だろう。 お前 がいけない、とめ方が(芝居がかって、手を広げ)、「旦那、まあまあ!」

 番頭さん、只今戻りました。 遅いじゃないか、旦那に謝って来い。 おナ カがペコペコで。 貞吉、只今戻りました。 どこへ行った。 伊勢屋さんに 行って参りました。 今朝早く出かけて、今は日が暮れかかっている。 伊勢 屋さんは、同町内、目と鼻の先だ。 伊勢屋さんに参りましたら、蔵掃除をな さっていたので、お手伝いをいたしました。 気が利いたね、旦那は何か言っ ていなかったかい。 ご無沙汰しているけれど、近々伺うからよろしくとのこ とでございました。 おかしいな、伊勢屋さんは今の今まで、そこに座ってい たよ。 芝居を観ていたんだろう。 芝居は嫌いなんです、白塗りのおじさん が、変な声を出したりするんで。 ちょうどよかった、みんなで芝居を観に行 くんだが、留守番をしてな。 今度の芝居は楽しみだ、「忠臣蔵」の「五段目」、 猪の前足を菊五郎、後足を団十郎がやるんだそうだ。 貞吉、何を笑っている。  大(おお)名題が二人でやる訳ないでしょう。 お前に、何で嘘とわかる。 あ れは一人でやるんです、今まで、あたい観ていたんですから。 やっぱり、芝 居を観てたんだな。 謀る謀ると思ってたけれど、謀られた。 お蔵の中へ入 っていなさい。 もうしませんから、旦那、ご膳を頂かして下さい、腹ペコで。  駄目だ。 アッ、お清どん、おなかペコペコなんだ、おむすびでも何でもいい、 持って来て。 アカンベェ。

 帰ろう帰ろうと、思っていたんだけれど、最後の一幕を観たのがいけなかっ たんだ。 「忠臣蔵」は、やっぱり「四段目」、判官切腹の場がいいよ。 「行 け、行け、力弥」、デーーン、デーーン、太棹はいい音だ。 「力弥、力弥、由 良助はまだか」 「いまだ参上仕りませぬ」 「存上で対面せで、無念なと伝 えよ」 腹を切ったところに、ようやく大星由良助義金、到着。 「近う、近 う」 腹帯を締め直して、ツ、ツ、ツ、ツ、ツ、「御前ッ」 「由良助かぁー」  「ははぁー」 「待ちかねたぁー」

 お腹、空いたなぁー、旦那、勘弁して下さいよー、旦那ぁー、おまんまーー っ。 道具立てをして遊ぼう、三方とお客様からお預かりした刀を探し出し、 また芝居の真似。 さっきアカンベェしたお清が覗くと、ギラギラ光った刀を お腹に突き刺そうとしている。 「大変です、貞どん、腹ん中で、蔵を切って ます」 旦那がお鉢を持って、蔵へ。 「旦那―ッ」 「ご膳ッ」 「蔵の内 でかぁ」 「ははぁー」 (泣きそうな声で)「待ちかねたぁー」

三遊亭歌武蔵の「甲府い」前半2019/06/07 07:19

 本日のしんがりで、どうやってネタを仕込むんですかと聞かれるが、面白い ことがないかと、表を歩く。 今、表はパラッと雨が降って来た。 電車や地 下鉄で寄席に来るけれど、雨だとバスに乗る。 半袖で出かけたら、幼稚園の 年長ぐらいの男の子が、「トトロがいた、トトロがいた」と言った。 傘を回し て「ガオーッ!」と吠えた。 困った顔をしていたお母さんが、「ありがとうご ざいます」、と言った。

 テレビのCMを見ていて、一人で笑った。 俳優が礼服を着ていて、お葬式 にいくらかかるか検索してみると、かなりかかる。 「小さなお葬式」という 宣伝。 「早割なら、さらにお得」に笑った。 お祖父さんが5月29日に逝 くみたいというんで、20日に頼んだら、お得になるのか。 ガスバーナーの火 力が強くなるとか、祭壇が一段増えるとかか。 遅くなると、棺桶の蓋がない。

 落語研究会、恒例で、なぜか場所後に呼ばれる。 平幕優勝した朝乃山、ト ランプ大統領が来ても、みんなスマホを向けていて、拍手をしない。 トラン プめがけて座布団を投げましょう、SPが銃を向けます。 大番狂わせを期待 していた。 それが二日前の十三日目、朝乃山対栃ノ心の一戦、栃ノ心はなか なか大関復帰の十番が勝てない、朝乃山に一方的に寄られて辛うじて叩き込ん だが、栃ノ心のカカトがついたと物言いがついた。 6分間の協議をして、ビ デオ室では3人見ているのに、益荒雄の阿武松審判長が砂ぼこりが上がったで 押し通した。 栃ノ心が勝っていれば、朝乃山も栃ノ心も、鶴竜(この日高安 に負けた)も3敗で並び、優勝の行方はどうなるか分からなかった。 阿武松 が、大番狂わせをやった。 千秋楽、トランプ大統領も不思議だったろう。 横 綱でもなく、御嶽海に負けた朝乃山に、大統領杯を渡した。 八角理事長もボ ンヤリしていたから、何と説明したか、わからない。 異例のおもてなしでも、 それはそれ、これはこれ、自動車問題では一歩も引かないだろう。

 袖擦り合うも多生の縁、蛤と帆立が鍋で巡り合い。 金公、何しやがんでえ、 他人様(ひとさま)の頭に手をかけるんじゃない。 豆腐屋の店先で、卯の花 を食らって、金公に叩かれたのは、お前さんかい。 えかく腹が減っていたも んで、すみません。 おからを買う銭がない、からっけつで、生れは甲州、甲 府の在(ゼイ)、小さい時分に両親に死なれ、伯父伯母に育てられた。

なんとかなるまで国に帰らないと、身延山に五年の願掛けをして出て来た。  浅草の観音様にお参りし、仲見世でどーーんとぶつかられたら、財布がなかっ た。 掏られたね、生き馬の目を抜くという江戸だ。 身延山に願掛けをした というなら、法華かい、ウチも法華のカタマリだ。 同宗の人か、飯食いな。  ばあさん、おかずは生揚げでもなんでもいい。 オハチにお目にかかります。  勝手にやっておくれ。

 繁盛している店で、他人の面倒もよく見る。 オハチ洗いますか? 今朝炊 いた一升五ン合、一人でやっちまったのか。 ハッハッハ、こっちに座んな。  これからどうする? あてはない、葭町に口入屋があるそうなので、そこへ行 くつもりで。 江戸で奉公しようってのか、国に帰らないで、乗り越える料簡 が偉い。 ウチで働いてみる気はないか、大きな豆腐屋から金公をこっちへ回 してもらいたいと言われているんだ。 まず天秤棒担いで売って歩く、ウチの 売りはがんもどきだ。 売り声は「とーふぃー、胡麻入り、がんもどき!」 お 前さん、やってみるか。 「パクパク、パッ!」 金魚じゃないぞ、ゆっくり、 落ち着いて。 「トーー、フィーー、ゴマーーー、イーーリーー、ガンモドー ーキー!」 怖いよ、おどろおどろしいよ。  担ぎっぷりがいい、田舎で肥担桶(こえたご)担いでいたからか。 名前を 聞いてなかった。 卯年生れで、卯ノ吉。 卯の花を食らうわけだ。 一人娘 のお花も、卯年だよ。 朝、早いぞ。

三遊亭歌武蔵の「甲府い」後半2019/06/08 07:01

 カラスカアと鳴く、豆腐屋は、その前から起きている。 卯ノ吉は、洗濯の 水を汲んでやったり、子供が泣くと懐の菓子をやったりして、たちまちかみさ ん連中の人気を得る。 あちこちの町内で、卯ノさん、卯ノさんと評判だ。  面白くないのは亭主連中、魚屋は越したのか、八百屋は潰れたのか、三度三度 豆腐は勘弁してもらいてえ、二十日も豆腐ばかり食ってて、湯に入ったら体が フーーッと浮かんだ。 じゃあ、明日はおからにするよ。

 三年の月日が流れた。 お花は? 髪結いに行ってるよ。 卯吉は当たった な、言葉もすっかり江戸もんだ、どこかのかみさんにからんでいた酔っ払いに、 いい啖呵を切っていた。 朝早く起きて、水をかぶってお題目をあげてんだ、 主(あるじ)の商売が繁盛しますように、ついでに私も出世できますようにっ て。 お花は一人娘だ、卯ノ吉を婿にして、店を継がせたいと思うんだが、ど うだろう。 お花は何ていうか? お花が、男物の着物を縫っていましたよ。  私達がよくても、卯ノ吉がどう言うかわかりませんよ。 (喧嘩腰で)おい、 卯ノ、手前、そこに座れ。 お前さん、向こうに行ってて。 卯ノ吉、お花と いっしょになって、この店を継いでくれないか。 お任せいたします。 はっ きり考えて、返事をしなさいよ。 こんな有難い話はありません、よろしくお 願いいたします。 ほら、ごらん。 卯ノ吉、すまなかったな、倅。 倅は、 まだ早いよ。

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモ チ 一日ニ玄米四合トガンモドキヲタベ 北ニ魚屋ヤ八百屋ガアレバツマラナ イカラヤメロトイヒ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモ サレズ サフイフ豆腐屋ニワタシハリタイ  と、卯ノ吉はよく働き、店を若夫婦に任せて、両親は隠居所に住むようにな った。 浅草の観音様にお参りした戻り道に寄って、お前は、よく働くな、楽 をさせてもらっているよ。 たまには暇を取ってくれよ、お前は人間が堅過ぎ る、世辞愛嬌が大事だ、トーフの方から来るそうですね、と言われたら、おか げでまめに稼いでおります、と言え。 今、何時(なんどき)だ、と聞かれた ら、がんもどきでいかがでしょう、と言ったらどうなんだ。 世辞、愛嬌、頓 智が大事だ、寄席に行ったらいい。 十日ほどお休みをいただけませんか。 泊 りがけで寄席か、あんなものは一晩でいい。 国の伯父の所へ、挨拶に行きた いんです。 身延山に五年の願を掛けているので、願ほどきもして来たい。 お 花が、私も伯父さんに会ってみたいと言う。 行って来い、善は急げ、明日に もウチから立ってくれ。

 婆さんは、支度が大変、強飯を伯父さんのお土産代りにも。 卯ノ吉、もっ と食え、体をゆすれば入る。 お父っつあん、茶筒じゃないんだから、あれか ら寄席に行きました。 お花これで、好きなものを、買ってもらえ。 身延山 へお賽銭にします。

 みんな、こっちへ来てご覧よ、お豆腐屋さんの卯ノさんとおかみさん、旅支 度して、とてもきれいだから。 どこへ行くんだろう、聞いてみよう。 お二 人で、どちらへ? 「甲府ぃー、お参り、願ほどき!」

「福沢一族のピアノ・エラール、サントリーホールで甦る」2019/06/09 08:04

高校の同級生で、熱烈音楽愛好家の戸島幹雄さんから、「福沢諭吉一族のエラ ール、サントリーホールでよみがえる」という情報を頂いた。 そんな雑誌が あることも知らなかった『ショパン』(昭和59(1984)年5月創刊・(株)ハン ナ)の「歴史を見てきたピアノたち」の2019年5月号の記事である。 エラ ールというのは、19世紀ロマン派ピアノ音楽の発展に絶大な影響を与え、ヨー ロッパで名を馳せたピアノメーカーなのだそうだ。 天才的名工、セバスチャ ン・エラールによって作られたその名器を、ベートーヴェンやショパン、リス トもこよなく愛したという。 このエラールの名器の中でも数少ない大型で、 ナポレオン3世時代の美学を反映した、カエデの木目の美しい1867年製演奏 会用グランド・ヒアノが、2004年にサントリーホールに寄贈され、その所蔵と なって、使用する演奏会が大変な人気なのだそうだ。

 このエラールを寄贈したのが、福沢諭吉の曽孫にあたるエミさんだという。  福沢の四男・大四郎の息子、福沢進太郎は慶應義塾大学法学部卒業後パリ大学 に留学、そこでパリ国立音楽院に留学していたギリシャ人声楽家アクリヴィ・ アシマコプロスと出会い、後に結婚する。 二人がパリの由緒ある家のサロン で出合ったのが、まさにこのエラールで、そのサロンではかつてフランツ・リ ストも演奏したと伝えられているという。 このエラールを譲り受けた二人は 終戦後に日本に持ち帰り、アクリヴィ夫人が自宅で大切に弾き続けてきた。 夫 人の死後、弾かれることのなくなったこのピアノの音色を多くの人に聴いて頂 きたいと、娘のエミさんがサントリーホールに申し入れ、寄贈されることにな ったのだそうだ。

 福沢進太郎さんは仏文学者、奥さんが外人で、その息子が福沢幸雄という人 気カーレーサー、昭和44(1969)年に事故死したことは聞いていた。 奥さ んのアクリヴィさんが声楽家で、戦後多くのフランス歌曲を日本に紹介した人 だったというのは知らなかった。 このエラールが作られた1867年といえば、 明治維新の前年、慶應3年、福沢諭吉は幕府の軍艦受取委員長小野友五郎の一 行に加わって、二度目のアメリカへ行き、多くの原書を買ってきた年であった。

福沢美和さんとピアニストの辻井伸行さん2019/06/10 07:14

 福沢諭吉一族とピアノで、もう一つのエピソードがある。 福沢諭吉の曾孫 に福沢美和さんという方がおられた。 諭吉の長男一太郎の次男・八十吉の長 女として昭和2(1927)年に生まれ、平成27年11月9日に亡くなった。 母・ 淑子(よしこ)さんは旧姓緒方、平成2(1990)年4月の福澤諭吉協会の一日 史蹟見学会でご一緒して、駒込の高林寺に緒方洪庵の墓を訪れた時に、こちら も曾祖父と花を供えてお参りなさっていたのを憶えている。 その時も、盲導 犬アンナを連れていたが、もともと先天性網膜色素変性のため視力が弱く1970 年代初めの頃から全盲となり、1976年から暮らし始めた盲導犬フロックスとの ことを『フロックスは私の目―盲導犬と歩んだ十二年』(文春文庫)などの著書 に書き、視覚障碍者の福祉、盲導犬の啓蒙についての交流会や講演などいろい ろの活動をなさった。

 ピアニストの辻井伸行さんの母いつ子さんは、伸行さんが生れながらの全盲 と知って、自殺も考えたという。 だが福沢美和さんの『フロックスは私の目』 を読んで、力づけられて、美和さんに会いに行く。 そして、美和さんに「見 えない世界に生きる人には、その世界観がある。臆せずに個性を伸ばしなさい」 と言われたという。 保育園の頃に「目の見えない伸くん」とは呼ばれていた 伸行さんは、母子の努力で、その個性を伸ばすことによって「ピアノの上手な 伸くん」と呼ばれるようになった。 2009年6月、アメリカのヴァン・クライ バーン国際ピアノコンクールで、辻井伸行さんは最年少の21歳で優勝した。  本田有明さんの『あの人の人生を変えた運命の言葉100』(PHP文庫)にある 挿話である。