小尾ゼミOB会で、会津藩、仙台藩の話 ― 2019/07/10 07:16
6月22日の夏至の日、小尾恵一郎ゼミのOB会が帝国ホテルの東京三田倶楽
部であり、36名が集まった。 奥様、小尾芙佐さんは翻訳の校正が忙しくてい
らっしゃらなかったが、87歳でなお、ジョージ・エリオットの『サイラス・マ
ーナー』を翻訳中だそうだ。 『サイラス・マーナー』、題名だけはどこかで聞
いたことがあった、学生時代の英語の授業ではなかったと思うが…。 ジョー
ジ・エリオットは、ジョージだが本名メアリ・アン・クロス(旧姓エバンス)
という女性作家である。
われわれの5期は5名の参加、それぞれ短いスピーチをした。 染谷さんは、
かつてアメリカに醤油を売り込んでいたので、最近カリフォルニアのサクラメ
ント(ゴールドヒル)で移民150年の式典があった話。 戊辰戦争に敗れた会
津藩の人々が、明治2(1869)年、日本人最初の移民としてこの地に入植した。
会津のお姫様(?)、おけいの墓があり、早乙女貢に『おけい』(桶屋の娘)と
いう吉川賞候補作品があるそうだ。 プロイセンの武器商人、ヘンリー・シュ
ネルに連れられて入植した会津の人々は「若松コロニー」をつくって、お茶と
絹の生産を目論んだが、二年ほどで夢破れたという。
それを受けて、西村さんが母方の先祖に白虎隊の隊士がいたと話し、城多さ
んは、母方の先祖が会津に連なる仙台藩の重役で、後に学校の開成の創設経営
に関わったと話した。
それぞれに興味深い話だったので、関連の話をブログに書いたことのある私
は翌日、次のようなメールを送ったのだった。
咸臨丸がサンフランシスコに着いてすぐ、三人水夫が亡くなり、サンマテオ・
カウンティのコルマにある日本人墓地に、水夫源之助、富蔵、火焚(かまたき)
峯吉の墓があるそうです。
東洋文庫オリエント・カフェで、咸臨丸のことなど<小人閑居日記 2019.5.10.>
会津藩とアメリカの関係では、維新後いじめられた会津が留学生の募集に積
極的に応募したこと、後に東大総長になる山川健次郎や、その妹さき(後に大
山捨松となる)のことを書いたことがあります。
山川健次郎は慶應義塾で学んだか?<小人閑居日記 2013.8.11.>
山川健次郎の妹、さき(大山捨松)の留学<小人閑居日記 2013.8.12.>
大山巌との結婚、その後の活躍<小人閑居日記 2013.8.13.>
山川健次郎(15)、フランス語を学ぶ<小人閑居日記 2013.8.14.>
長州人奥平謙輔の書生になった事情<小人閑居日記 2013.8.15.>
健次郎のアメリカ留学まで<小人閑居日記 2013.8.16.>
山川健次郎がアメリカで学んだこと<小人閑居日記 2013.8.17.>
会津と松平容保(かたもり)<小人閑居日記 2013. 4. 2.>
会津と「奥州仕置」「惣無事令」<小人閑居日記 2017.12.1.>
城多さんは、仙台藩の重役石田将監の曽孫ということでしたが、ご存知仙台
藩と福沢の関係は深く、江戸留守居役の大童信太夫に横浜の英字新聞を翻訳し
て売ったり、アメリカから本を買って来たりしています。 中津藩最後の殿様
奥平昌邁(まさゆき)は仙台伊達の流れ伊予宇和島の伊達宗城の三男で養子に
来ています。 中津奥平氏も、伊予宇和島の伊達氏も十万石、両都は親戚で、
規模も、県庁を他市にとられた立地条件も似ています。
福沢と仙台藩江戸留守居役・大童信太夫<小人閑居日記 2013. 6.26.>
福沢、大童信太夫の赦免に働く<小人閑居日記 2013. 6.27.>
福沢の大童信太夫評価<小人閑居日記 2013. 6.28.>
ヘボン博士、大童信太夫の痔を手術<小人閑居日記 2013. 6.29.>
そんなわけで9月にでも、みんなで会って、明治維新の話でもしようかとい
うことになった。
部であり、36名が集まった。 奥様、小尾芙佐さんは翻訳の校正が忙しくてい
らっしゃらなかったが、87歳でなお、ジョージ・エリオットの『サイラス・マ
ーナー』を翻訳中だそうだ。 『サイラス・マーナー』、題名だけはどこかで聞
いたことがあった、学生時代の英語の授業ではなかったと思うが…。 ジョー
ジ・エリオットは、ジョージだが本名メアリ・アン・クロス(旧姓エバンス)
という女性作家である。
われわれの5期は5名の参加、それぞれ短いスピーチをした。 染谷さんは、
かつてアメリカに醤油を売り込んでいたので、最近カリフォルニアのサクラメ
ント(ゴールドヒル)で移民150年の式典があった話。 戊辰戦争に敗れた会
津藩の人々が、明治2(1869)年、日本人最初の移民としてこの地に入植した。
会津のお姫様(?)、おけいの墓があり、早乙女貢に『おけい』(桶屋の娘)と
いう吉川賞候補作品があるそうだ。 プロイセンの武器商人、ヘンリー・シュ
ネルに連れられて入植した会津の人々は「若松コロニー」をつくって、お茶と
絹の生産を目論んだが、二年ほどで夢破れたという。
それを受けて、西村さんが母方の先祖に白虎隊の隊士がいたと話し、城多さ
んは、母方の先祖が会津に連なる仙台藩の重役で、後に学校の開成の創設経営
に関わったと話した。
それぞれに興味深い話だったので、関連の話をブログに書いたことのある私
は翌日、次のようなメールを送ったのだった。
咸臨丸がサンフランシスコに着いてすぐ、三人水夫が亡くなり、サンマテオ・
カウンティのコルマにある日本人墓地に、水夫源之助、富蔵、火焚(かまたき)
峯吉の墓があるそうです。
東洋文庫オリエント・カフェで、咸臨丸のことなど<小人閑居日記 2019.5.10.>
会津藩とアメリカの関係では、維新後いじめられた会津が留学生の募集に積
極的に応募したこと、後に東大総長になる山川健次郎や、その妹さき(後に大
山捨松となる)のことを書いたことがあります。
山川健次郎は慶應義塾で学んだか?<小人閑居日記 2013.8.11.>
山川健次郎の妹、さき(大山捨松)の留学<小人閑居日記 2013.8.12.>
大山巌との結婚、その後の活躍<小人閑居日記 2013.8.13.>
山川健次郎(15)、フランス語を学ぶ<小人閑居日記 2013.8.14.>
長州人奥平謙輔の書生になった事情<小人閑居日記 2013.8.15.>
健次郎のアメリカ留学まで<小人閑居日記 2013.8.16.>
山川健次郎がアメリカで学んだこと<小人閑居日記 2013.8.17.>
会津と松平容保(かたもり)<小人閑居日記 2013. 4. 2.>
会津と「奥州仕置」「惣無事令」<小人閑居日記 2017.12.1.>
城多さんは、仙台藩の重役石田将監の曽孫ということでしたが、ご存知仙台
藩と福沢の関係は深く、江戸留守居役の大童信太夫に横浜の英字新聞を翻訳し
て売ったり、アメリカから本を買って来たりしています。 中津藩最後の殿様
奥平昌邁(まさゆき)は仙台伊達の流れ伊予宇和島の伊達宗城の三男で養子に
来ています。 中津奥平氏も、伊予宇和島の伊達氏も十万石、両都は親戚で、
規模も、県庁を他市にとられた立地条件も似ています。
福沢と仙台藩江戸留守居役・大童信太夫<小人閑居日記 2013. 6.26.>
福沢、大童信太夫の赦免に働く<小人閑居日記 2013. 6.27.>
福沢の大童信太夫評価<小人閑居日記 2013. 6.28.>
ヘボン博士、大童信太夫の痔を手術<小人閑居日記 2013. 6.29.>
そんなわけで9月にでも、みんなで会って、明治維新の話でもしようかとい
うことになった。
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