福沢、兵書翻訳の内金領収書2019/07/12 07:08

 6月29日の坂井達朗さんの公開講座で、興味を引かれた資料は、宛先未詳、 年次未詳12月23日付、「覚」と題した福沢証文。 「千八百六十七年式英兵 練法」の「翻訳料百弐拾五両」の「内金」「弐拾五両」の受取である。 宛名の ないのは、用紙の袖と奥の余白の幅に差があることから、宛名の部分が切り取 られた可能性が考えられるという。  坂井達朗さんは、当時の各藩は独立国であり、軍備の必要から西洋流の翻訳 を必要にしていたことを指摘した。 

『福澤手帖』133号(2007年6月)に、この史料について解説している、坂 井さんの「第二の『洋兵明鑑』があった?」が掲載されている。 大阪府立中 之島図書館の所蔵、同図書館の司書部長だった稲垣房子氏が寄贈したもので、 ご実父の故山川信夫氏が、祖父の旧熊本藩士山川亀三郎氏から伝えられた史料 だという。 亀三郎氏は戊辰戦争時に出征された軍人で、森鴎外の『堺事件』 には亀太郎という名で登場する「同藩の隊長」であり、妻は肥後実学党の領袖 徳富一敬の長女常だそうだ。 坂井さんは、この史料が熊本藩士の子孫の家に 伝えられていたことは誠に興味深いとする。 実学党の影響が強かった時代の 熊本藩は、福沢と深い繋がりを持っていた。 ジェーンズ先生を招いて洋学校 を開設したほどであったから、洋学の導入に極めて熱心で、廃藩置県までは慶 應義塾にも多くの藩士を留学させていた。(坂井達朗「肥後実学党と初期の慶應 義塾(一)」「近代日本研究」第一巻)

 『洋兵明鑑』については、「福澤全集緒言」に翻訳・出版の事情が述べられて いる。 福沢が販売したのは新聞記事の翻訳だけでなく、単行書の翻訳もあっ た。 熊本藩の知人で兵事を好む士人からの依頼を受けて、手許に持合せの原 書「イミル・スカーク氏が著述せる『ソムマリ・オフ・ゼ・アート・オフ・ウ オーワ』(Summary of the Art of the Warか)」を訳したのが『洋兵明鑑』で、 約束通り版行した其何百部を熊本藩に納めて、金高六百円ばかりを受け取った という。

 問題の「覚」という史料は、表題からイギリス陸軍の歩兵操典のようなもの と想像されるが、その年と翌年の3月20日頃までに7、80枚ずつ渡すという 契約であるから、全体で150~160枚ほどのものであったはずだという。 福 沢が慶応4年に友人に示した翻訳代金は兵書の場合200字1枚につき一両であ ったから(6月7日付山口良蔵宛書簡)、百弐拾五両はそれに近い量であると、 坂井さんは考えている。