奥沢の福沢〔昔、書いた福沢74〕2019/07/15 07:20

                 奥沢の福沢

          <等々力短信 第755号 1996(平成8).11.15.>

 11月3日文化の日、前号をコピーしようと、近所のコンビニエンス・スト アへ行った。 「持って来た用紙でコピーさせてもらえますか」と聞くと、一 人で店番していて忙しそうなおばさんが言下に「紙がつまって機械が壊れるか らダメです」という。 まるで私が、前に何度も紙をつまらせてコピー機を壊 したような、有無を言わせぬ言い方だった。 簡単に引き下がってコンビニを 出てきたのは、訳があった。 その前日、奥沢駅近くの不動産屋さんで「コピ ーサービス」の看板を見つけていたからだった。

 その不動産屋さんで、コピーを始める。 「ちょっと薄いかな」というと、 奥さんらしい女性がお客の応対中だったので、社長さんがカートリッジを交換 してくれた。 社長さんが、コピーをのぞき込む。 コピー機の上の壁を何気 なく見ると「不動産三田会会員」という看板がかかっていた。 「篠田さんは 三田ですか」「今、これを拝見していたのですが、お客さんは先輩のようで」 という話になって、社長さんは昭和43年の卒業だとわかった。 コピーした ばかりの「等々力短信」を一枚差し上げる。 コピーをしながら話をしている と、篠田さんは福沢諭吉の手紙を持っているという。 岐阜のご出身、郷里で 父上が手に入れていた福沢書簡を、篠田さんがもらったものだそうだ。

 何という偶然だろう、私が奥沢に引越さなければ、コンビニのおばさんが暇 で親切ならば、前日「コピーサービス」の看板を見ていなければ、前号の「等 々力短信」に「父としての福沢諭吉」と題して桑原先生の読書会のことを書か なければ、篠田さんが「不動産三田会」に所属していなければ……、私は篠田 さん所蔵の「福沢書簡」に出合うことはなかったのだ。 不思議な運命の糸に 引きずられているような気がした。

 三日後、篠田さんのお店で「福沢書簡」に対面した。 小型封筒の表が「京 都六条本願寺 大谷光尊殿」裏は「東京 三田 福沢諭吉」、表に四銭、裏に 二銭が二枚計八銭の切手が貼ってあり、面白いことに「二銭不足」の表示があ る。 それだけでも郵趣家は、よだれを垂らすだろう。 芝口と、京都のスタ ンプが見える。 手紙はかなりの長文で、明治18年10月26日付かと思わ れ、福沢が郷里の長姉の家に頼んで営んだ父百助の五十年忌に関連して、本願 寺配下の中津の菩提寺のことを、本山に照会したものだった。 家に帰って福 沢全集の書簡集をみたが、未収録のようだ。 桑原先生にご相談し、福沢研究 センターの専門の先生に鑑定して頂くことになった。