安心決定〔昔、書いた福沢76〕2019/07/17 07:06

               安心決定

         <等々力短信 第757号 1996(平成8).12.5.>

 『福翁自伝』には「安心決定(あんじんけつじょう)」という言葉が、6回 出て来る。 と書くと、えらく勉強したようだが、タネを明かせば、慶應義塾 大学出版会(この3月までは慶應通信といった)刊の富田正文先生校注の新版 (平成6年5月)には、索引に注解語句のそれが含まれているのである。

  「安心決定」は、例えば、こんなふうに使われている。 人の進退というも のはその人の自由自在なはずなのに、全国の人がただ政府の役人になることだ けにしか立身の道がないと思い込んでいるのは、漢学教育の弊害で、いわゆる 宿昔青雲の志ということが、先祖以来の遺伝に存している一種の迷いである。  「いまこの迷いをさまして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一 人(いちにん)でもその真実の手本を見せたい、またおのずからその方針に向 かう者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心からわいて出ることだ、国中 をあげて古風の奴隷根性ではとても国が持てない、できることかできないこと かソンナことに躊躇せず、自分がその手本になってみようと思いつき、人間万 事無頓着と覚悟をきめて、ただ独立独歩と安心決定したから、政府に寄りすが る気もない、役人たちに頼む気もない」

  司馬遼太郎さんは、京都で社寺担当の宗教記者をしていた。 『街道をゆ く』「中津・宇佐のみち」で、福沢諭吉を取り上げ、この「安心決定」に目を つけている。  この言葉、親鸞の浄土真宗にだけあるといっていい特別用語 で、江戸期の武士でこの言葉を使った例は、この福沢の『自伝』ぐらいではな いか、という。  浄土真宗は、江戸期以前は一向宗といわれ、一向(ひたす ら)に唯一神である阿弥陀如来にすがり、念仏する。 必ず救われるという信 仰が深まり、心が不動の境地に達するのが「安心」だ。 一向宗は、一向一揆 で戦国期をゆるがした。 どの大名も一向宗をおそれたが、中津奥平藩は、珍 しく寛容だった。 そんなことを説明して、司馬さんは「明治の士族のなかで 浄土真宗の教養に通じていたのは、おそらく福沢一人だったろう」と断定さえ するのだ。

 三田の演説館でスピーチ(演説)の練習を始めた時、過去の日本に演説の風 習がなかったかどうかを考え、福沢は浄土真宗の説教という形でそれが存在し ていたことに気づいた。 平易な仮名交じりの文章を書くことに努めて成功し た福沢が、参考にしたのは浄土真宗中興の祖、蓮如上人の御文章(おふみさ ま)だった。  福沢のこの二つの大きな業績に、浄土真宗の影響が濃いこと は、たいへん興味深い。

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