立食パーティー〔昔、書いた福沢81〕2019/07/22 07:02

               立食パーティー

       <等々力短信 第802号 1998(平成10).3.25.>

 立食パーティーというのが苦手である。 話べただから、初めての人と会話 がはずむ、というわけにはいかない。 酒を飲まないから、さまにならない。 さりとて食べる一方という訳にもいかない。 結局、あまり食べられず、家で お茶漬でもということになる。

 800号の達成を祝って頂戴したお手紙の中で、ことに嬉しかったものの一 つが、慶應義塾福沢研究センターで副所長をしておられる松崎欣一さんからの ものだった。 たまたま福沢の書翰集を開いていた松崎さんは、思いついて、 800号書翰をみてみたというのである。 明治19年4月25日発信、荘田 平五郎宛の、その手紙は、名宛人の名前だけからはちょっと想像ができない面 白いものだったので、801号と一緒にごらん下さい、という文面だった。  荘田平五郎は、慶應義塾の初期の卒業生で、その教員も務め、後に三菱の大立 て者になった。 早速『福沢諭吉全集』第18巻を開く。

 800号書翰は、福沢ふさ、中村さと、福沢きん、つまり福沢の二女、長 女、妻の三名連名で、荘田奥様宛のものと、平五郎様几下 諭吉という別紙 の、二通からなり、ともに福沢自筆のものだそうだ。 内容は5月1日午後1 時から福沢宅で、友人の妻女に料理を差し上げたいという招待状で、「座敷向 手狭にて一々御膳部差上兼候に付、試に立食の趣向に致し候」という。 立食 パーティーなどというもの、ごく最近のものかと思っていたら、さすが福沢さ ん、明治19年に、もう立食パーティーを開いていたのである。 それも、こ の書翰の註によると、明治18年頃から『時事新報』紙上に「日本婦人論」 「品行論」「男女交際論」などを掲載して、婦人の集会、男女の交際などにつ いて、説くところがあったのだそうで、平五郎宛の手紙に「婦人の交際を始め 度は兼ての志願」と、この会合の目的を述べている。 案内状の追伸も、女性 向きに「御めし物等決して御心配無之やう呉々も御心易思召願上候」と、じつ に行き届いている。

 801号書翰は、明治19年5月2日付、アメリカ留学中の長男一太郎宛 で、近況と前日の婦人連中を客にした様子を報じたもの。 およそ50名とい う大人数だったことがわかる。 「テーブルに西洋と日本と両様の食物を竝べ 置、客の銘々取るに任せて先づ立食の風に致し、事新らしけれ共、衆婦人實に 歓を盡したるが如し。 取持は内の娘共と、外に社友中のバッチェロル(独身 男性、慶應の学生だろう)八、九名を頼み、誠に優しく且賑に有之候」と、大 成功だったことを伝えている。