福沢さんの落語〔昔、書いた福沢95〕 ― 2019/08/13 07:25
福沢さんの落語
<等々力短信 第901号 2001(平成13)年3月25日>
電力の鬼、松永安左ェ門さんが、人間をダンゴにまるめる話をして、人物が 大きすぎて、とても、まるめることなど出来ないのが福沢先生だと書いている。 (『人間・福沢諭吉』1964年・実業之日本社) 福沢諭吉が、汲めども尽き ぬ泉だということは、しばしば実感してきたが、このたびもまた、その新しい 面に目を開かせられる論文を読んだ。 『福沢諭吉年鑑27』(2000年・福 沢諭吉協会)所収、谷口巖岐阜女子大学教授の「「漫言」のすすめ -福沢の文 章一面-」である。 福沢は明治15(1882)年に『時事新報』を創刊し、 それから死ぬまでの20年近くの間、ずっと今日の「社説」のような文章を書 き続けた。 その量は膨大で、『福沢諭吉全集』21巻中、9巻を占めている。 その新聞論集の中に、「社説」と平行して収められている「漫言」307編に、 谷口さんは注目する。 福沢は、奔放で多彩で茶目気タップリな「笑い」の文 章を創造し、その戯文を楽しみながら、明るく、強靭な「笑い」の精神で、時 事性の濃い社会や人事全般の問題について、論じているというのである。
「漫言」の一例を挙げる。 創刊4日目の「妾の効能」(明15.3.4)英 国の碩学ダーウヰン先生ひとたび世に出てより、人生の遺伝相続相似の理もま すます深奥を究めるに至った。 徳川の大名家、初代は国中第一流の英雄豪傑 で猪の獅子を手捕りにしたものを、四代は酒色に耽り、五代は一室に閉じ篭り、 七代は疳症、八代は早世、九代目の若様は芋虫をご覧になって御目を舞わさせ られるに至る。 それが十代、十五代の末世の大名にも、中々の人物が出る由 縁は何ぞや。 妾の勢力、是なり。 妾なるものは、寒貧の家より出て、大家 の奥に乗り込み、尋常一様ならざる馬鹿殿様の御意にかない、尋常一様ならざ る周りの官女の機嫌をとり、ついに玉の輿に乗りて玉のような若様を生むもの なれば、その才知けっして尋常一様の人物ではないのは明らかだ、と。
福沢は新作落語も作っていた。 「鋳掛(いかけ)久平(きうへい)地獄極 楽廻り」(明21.6.17) 散憂亭変調 口演 としてある。 鋳掛屋の久平 が死んで冥土へ行くと、かつて懇意だった遊び友達の吉蔵が、シャバのお店で の帳付の特技を生かし、無給金食扶持だけながら閻魔様の帳面をつけていた。 吉蔵に話を聞き、極楽を覗かせてもらうと、大入り満員で、蓮の葉の長屋にギ ュウ詰めになって、みんな退屈している。 近頃、シャバで教育が始まり、人 に正直の道を教えたからだという。
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