なぜ一万円札の顔なのか〔昔、書いた福沢98〕2019/08/16 08:06

             なぜ一万円札の顔なのか

       <等々力短信 第918号 2002(平成14)年8月25日>

 大江健三郎さんは、冗談のようなことだけれど、皆さんは外国人から一万円 札に福沢諭吉の絵がついているのを指して、これはどんな人だ、なぜ夏目漱石 の十倍値打ちがあるんだ、と聞かれたら、どう答えるか、と問いかける。 I CU国際基督教大学での「本当の開国を「始造」する」という講演(『鎖国して はならない』講談社)でのことだ。 新札に再任された福沢は、夏目漱石や野 口英世の二十倍の値打ちということになるのだろうか。 大江さんは上の質問 に答えるために、丸山眞男さんの岩波新書『「文明論之概略」を読む』を読めと いうのだけれど、この本、上中下3冊もある上に、まず『文明論之概略』を朗 読してから丸山さんの講義を読むことになっていて、正直にいえばどちらもか なり難解である。 高校生の私が福沢の魅力に目を開かせられたのは、伊藤正 雄さんの『福沢諭吉入門』(毎日新聞社・1958年)だけれど、今では古本屋 にも出ないだろう(どこかで復刊してくれないか)。 富田正文先生の『考証 福 沢諭吉』上下(岩波書店)は最高最良だが、福沢札一枚では買えないからデフ レ時代の入門書としては薦めにくい。 今は、4月に出た北岡伸一東大教授の 『独立自尊 福沢諭吉の挑戦』(講談社)が、福沢の全貌を知るための最適の入 門書と言えると思う。

 北岡さんの『独立自尊』の良いところを挙げる。 福沢が心掛けたように「平 明」なのがよい。 「幸運は待ち構えているものにだけ訪れる」福沢の生涯を 展望できるのがよい。 『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』にそれ ぞれ一章をあて、その内容をまとめてくれている(有名だが、たいてい読んで いない。 執筆時期と時代背景の組み合わせもよくわかる)。 『福翁自伝』に 書かれなかった部分に、ふれている(幕末、福沢が幕府強化論を主張して、積 極的に政治に関与し、そして絶望したことが、その後、政治との距離を強調す る原因になったという指摘など興味深かった)。

 「『独立自尊』は福沢の人生そのものだった。…福沢は自らの内なる声に耳を 傾けて、本当にしたいこと、本当に正しいと思うことだけをした。…自らを高 く持して歩むこと、歩もうと試みることは、福沢でなくても出来ないわけでは ない。そういう独立自尊の精神こそ、混迷の時代に最も必要なものである。そ れなしには、日本は長期の停滞から抜け出せないように思う」 北岡さんは「福 沢が日本をどうしたいと考えたのか、そのビジョンと方法を、そのレトリック とともに読者に伝え」ることに成功した。