或る「と云へり」説〔昔、書いた福沢99〕2019/08/17 07:21

               或る「と云へり」説

      <等々力短信 第923号 2003(平成15)年1月25日>

 今年はテレビ50年、それより前の子供の頃、NHKしかなかったラジオに 確か「人権の時間」というのがあった。 毎回「天は人の上に人を造らず人の 下に人を造らず」で始まり、「○○労働基準監督署は…」とかいって、人権問題 や新労働三法をケース・スタディーで啓蒙する番組だった。 「天は…」の言 葉は、この番組で憶えた。

 福沢諭吉といえば、まず思い浮かぶこの人権平等の宣言は、『学問のすゝめ』 冒頭にあり、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」となって いる。 「云へり」というのだから、福沢がどこかから引用したように見える。  いろいろの学者が出典を探したが、的確には突き止められておらず、諸説の中 でアメリカ独立宣言中の一句の名訳であろうとする説が有力だと、富田正文先 生の『考証 福沢諭吉』にある。

 平松健さんから頂いた年賀状に、福沢をかじっている者には、捨て置けない ことが書いてあった。 明治の初め、和田末吉という人が、秋田孝季書写の文 書「恨現述書」(元禄十(1697)年七月)を福沢諭吉に見せた記録が残って いる。 その文書には、秋田頼季の言葉として「我が一族の骨肉は人の上に人 を造らず人の下に人を造らず、平等相互の暮らしを以て祖来の業となし」とい うのがあり、和田末吉は「祖訓の一句を、有難くも、福沢諭吉先生が御引用仕 り、『学問ノ進メ』に、天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ との御版 書を届けられし」と書き残しているというのである。

 私はすぐ平松さんに葉書を書いて、出典を尋ねた。 早速、古田武彦さんが いろいろな所に書いているが、一番まとまっているのが駸々堂『真実の東北王 朝』で、賀状は『昭和薬科大学紀要』第25号によったと、ご親切に教えて下 さった。

 図書館で『真実の東北王朝』を借りる。 1990年第一刷、古田武彦さん は在野の古代史研究者で、1984年昭和薬科大学に招かれ歴史学教授となっ た。 秋田孝季は寛政期(18世紀末)の津軽藩の学者で『東日流(つがる) 外(そと)三郡誌』を著した。 学界では「偽書」として敬遠されるが、天皇 家中心の史観でみるからだと古田さんはいう。 古田さんは孝季のスポンサー 和田吉次の子孫末吉の、明治期の書写本を見た。 上述した和田末吉の記録は 明治43年元日付のもので、その子長作の写本らしい。 『福沢諭吉書翰一覧』 の宛先名一覧を見たが、和田末吉も、末吉がそのつてで福沢の知遇を得たと思 われるという子爵秋田重季の名もなかった。

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