福沢諭吉いろはがるた〔昔、書いた福沢100〕2019/08/18 07:29

               福沢諭吉いろはがるた

      <等々力短信 第924号 2003(平成15)年2月25日>

 先月の「或る「と云へり」説」だが、駄目なのだそうだ。 十年ほど前、『サ ンデー毎日』やNHKテレビなどが取り上げて、騒ぎになった。 元の資料が 持ち込まれた時、福沢研究センターで調べた先生によると、全部が写本の形に なっている新手で、こういうものがあるといいというと、そういう文書の写本 が出てくる。 つまり贋作者が存在し、前回書いた「学界では「偽書」として 敬遠される」というのが正しいらしい。 春早々、すわ大発見かと興奮したの だが、とんだお騒がせをしてしまった。 残念というより、がっくり来た。 こ ういう時には、いいものがある。 卒業25年の1989年『105年三田会 名簿』に「福沢諭吉先生の『元気の出る言葉』」というのを、書かせてもらった。  その初めに「三度び敗れて一度び成れば前後償ふて余りあり」(『福翁百話』八 十三)を引いた。 その言葉を、三度唱えて、元気を出す。

 鶴見俊輔さんの『読んだ本はどこへいったか』(潮出版社)が、とても面白い。  プラグマティズムと「生活語」と大衆小説が三本柱で、身近かな生活実感から ものを考えていく。 鶴見さんは「いろはかるた」を高く評価する。 日常の 「生活語」から生まれた「ことわざ」には、伝統の生活の智恵がつまっている。  子供の時に「いろはかるた」で遊んで覚えたものが、のちに「状況」に合わせ てぱっと出てくる。 即座の智恵が発動して、判断できる。 たしかに「無理 が通れば道理引っ込む」「安物買いの銭失い」「喉元過ぎれば熱さ忘れる」「負け るが勝ち」なんてのは、口をついて出る。

 「三度び敗れて」が効いた私は、福沢の言葉で「いろはかるた」が出来ない かと考えた。 高校時代に出合った甲南大学の伊藤正雄さんの『福沢諭吉入門』 (毎日新聞社)には、たくさんの面白いフレーズがあって、若い脳味噌に鮮烈 な印象を刻み込んだ。 『入門』以後も数を増した福沢の言葉は、今日までの 人生のいろいろな局面に、ふっと出てきて、中には自分の判断に影響したもの もあったように思う。 そこで、伊藤さんの本を中心にして、「福沢諭吉いろは がるた」を試作してみた(明日掲載)。 すぐに浮ぶものもあるが、「ぬ」「る」 「れ」のように見るからに苦しいもの、省略や語順の入れ替え、語尾を丸めた ものもある。 これを、とりあえずの「たたき台」にして、よい文句があれば 取替えて、よりよいものにしていきたい。 お智恵があれば、拝借したい。 禍 を転じて「福沢諭吉いろはがるた」となす、というお粗末。

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