日本再生の鍵を残して〔昔、書いた福沢102〕 ― 2019/08/20 07:26
日本再生の鍵を残して
等々力短信 第927号 2003(平成15)年5月25日
望月護君の4冊目の本『源流 福沢・大隈は「官」に挑んだ』が、4月10 日まどか出版から刊行された。 しかし彼は、この本を手にすることが出来な かった。 3月1日に亡くなったからだ。 間質性肺炎という難病にかかった のは、9年前だったそうだが、同期の仲間の情報交流会を主宰してくれていた 彼は、少しもそれを感じさせなかった。 大日本印刷の営業本部長を経て、子 会社の重役を歴任したが、その年の春どうにも息苦しくなることがあるので会 社を辞めるという話を聞いた、2000年12月『ドラッカーの箴言 日本は、 よみがえる』(祥伝社)を出して、著述業に転身した。 ずっと勉強してきたド ラッカーの難解な経営学を、ビジネスマンとしての体験に裏打ちされた知識に よって、日本経済の実情に合わせ、たくさんの実例を挙げながら、ドラッカー の用語でなく「共通の言葉に置き換え」、わかりやすくまとめて解説することを 試みた。 その本は好評で、ビジネス街の大手書店でよく売れていると聞いた。
長期不況のトンネルから抜け出せず、みんなが悲観論に陥っている時、新規 事業を起こすことが日本再生の鍵になり、日本人にはそれだけの実力がある、 日本の危機の乗り越え方が世界のモデルになると説いて、勇気と希望を与える ものだったからである。
その後、快方に向うことはないといわれた病状が進む中で、一昨年11月『ド ラッカーと福沢諭吉 二人の巨人が示した「日本経済・変革の時」』(祥伝社)、 昨年9月『ドラッカーの実践経営哲学 ビジネスの基本がすべてわかる!』(P HP)を書いた。 医者に風邪を引くな、風邪を引くと生命にかかわるといわ れている状態で、昨年暮、脱稿したのが『源流 福沢・大隈は「官」に挑んだ』 だった。 望月君は近代日本の経済人たちの足跡をたどるうちに、母校慶應義 塾の創立者が百年以上も前に、ドラッカーと瓜二つの考え方を提示しているこ とに気がついて、驚く。 二人が口をそろえて説くのは「自立」であり、福沢 が「個人の独立」「私利私欲が公益に変わる」と説いたのに対し、全体主義の悪 弊を目の当りにしたドラッカーは、社会には政府に頼らない組織が数多く必要 であるとして「組織の独立」を説いていた。 両者とも徹底的に民間重視であ る。 それは遺著『源流』で「官」に挑んだ福沢や大隈重信を描き、時代を変 えるものは政府ではなく企業であり、官僚ではなくビジネスマンである、と書 いたことにつながる。 ご冥福と、望月君の遺言どおりに日本が再生すること を祈る。
最近のコメント