柳亭市馬の「淀五郎」前半2019/09/04 06:17

 江戸時代からの娯楽に、お芝居や、相撲、寄席がある。 お芝居は、ご家内 に諍(いさか)いを生むけれど、寄席はその点、円満だ。 検証すれば、入場 料に問題があって、芝居は2万円と、衛生によくない金額で、いい男が白く塗 って出て来るのを見て、家に帰って亭主の顏を見ると、諍いとなる。

 四代目市川団蔵、三河屋、皮肉で「いじわる団蔵」、守田座の『仮名手本忠臣 蔵』で、独壇場と言われた高師直や大星由良之助を演じた。 頭取、今戸の宗 十郎が倒れました、塩冶判官の代りがない、どうしましょう。 誰かあるだろ う、香盤を見せろ。 われわれの方は、前座、二ッ目、真打と階級があり、何 十人か飛び越して、真打になる者もいる(と、下手の楽屋の方を見て)その成 れの果てで…。 芝居では、下っ端の役者は、下立役(稲荷町(まち)と言っ た)、三階さん(中通り)などと呼ばれ、下立役、中通り、相中(あいちゅう)、 相中上分、名題下、名題と出世する。 門閥外だと、相中がせいぜいで、みっ ともないからと、名題にはできない。 四百何十年かの歴史の中で、名題に出 世したのが沢村淀五郎だった。 香盤を見た市川団蔵が、こいつにしろと言っ たのが、相中の沢村淀五郎。 淀五郎の判官でよろしゅうございますか。 淀 五郎は、さっそく名題に昇進、芝居茶屋の息子で、団蔵のひきでだんだん出世 してきていた。

 『仮名手本忠臣蔵』は、大序 鶴が岡兜改めの場に始まり、四段目の判官切腹 の場へと進む。 四段目は、弁当その他を客席に運びこめない、出物止めの幕、 文楽では「通さん場」といい、はばかりから帰っても入れない。 力弥が三方 を持って出て来て、判官の前に置く。 今生の別れだ、力弥は、なかなか戻れ ず、ようやく下手に下がる。

 いよいよ、切腹。 「トーーン」、「トーーン」、上使二人 石堂右馬之丞と薬 師寺次郎左衛門に、塩冶判官、大星力弥。 「力弥、力弥、由良之助は?」「い まだ参上仕りませぬ」。 判官は左手に九寸五分を持つ。 「由良之助は?」「い まだ参上仕りませぬ」。 右手に持ち替え、いざ切腹、太棹が「デェーーン」、 「デェーーン」、由良之助が花道から、ツツツツとそばに寄る、「御前ぇーーん」 「由良之助か」となる筈が、揚幕から出た団蔵の由良之助が花道の七三に止ま ったきりで、そばに寄ってきてくれない。 石堂右馬之丞が、「近う、近う」、 「委細承知仕った」。

 何だい、こりゃあ、酷(ひど)いね。 この男は、なっちゃねえよ。 お客 にも気の毒だ。 苦情を言ってる。 客席も、ジワジワくる。 由良之助が、 判官の傍にいない。 三河屋が、下向いてブツブツ言ってる。

 親方は、判官の傍に来なかった。 理由を訊きに行く、そんな型があるんで しょうか。 どういう料簡で、芝居をしている。 五万三千石の大名だぞ、そ れがえらいことをしちまった。 石堂右馬之丞が「近う、近う」と言っても、 行かれない、端から終いまで、みんな悪い。 本当に腹を切ればいいんだよ。  死にます。 まずい役者は死んだ方がいい。

 明くる日も、四段目で、団蔵は花道の七三に止まったきりで、そばに寄って 来ない。 淀五郎は、明日、舞台で腹切って死んでやろうと、決心する。