CD-ROM版「百科事典」で「福沢諭吉」を検索する(3)〔昔、書いた福沢111-3〕2019/09/11 07:09

               氷のたまご

 「福沢諭吉」の全文検索で出て来た項目のうち、福沢との関連を知らなかっ たり、ちょっと意外だったものを、一つ一つ読んでいくと、とても面白くて、 やめられなくなる。 「氷」「詩」「津田仙」「動物園」「ビール」「山辺丈夫」… …。 その内「氷」をご紹介してみたい。

 日本における人造氷は、『世界大百科事典』の鈴木晋一氏の解説によれば、明 治16(1883)年に東京製氷会社、同32(99)年に機械製氷会社が設 立され、ことに後者が本所業平橋の工場で日産50トンの生産を開始すること によって普及し始めたのだそうだ。 だが、実験的な人工製氷は、すでに明治 3(1870)年に行なわれていて、そこに福沢諭吉が登場する。 『世界大 百科事典』の記述を、富田正文先生の『考証 福沢諭吉』上(岩波書店)で補 いながら書いてみたい。 

 この年5月、福沢は発疹チフスにかかり、連日高熱が続いていた。 ドクタ ー・シモンズやウィリス、伊東玄伯、石井謙道、島村鼎甫、隈川宗悦、早矢仕 有的という最高の医師団が治療にあたった。 福沢の高熱を冷やすために氷が 必要だったが、当時東京市中には氷を売る店がなかった。 たまたま旧福井藩 主松平春嶽が製氷器を外国人から買って持っているが、使い方がわからずに放 置してあるという話を聞き、これを借り出して、福沢の親友の化学者で、大学 東校の教授宇都宮三郎に実験を依頼した。 宇都宮三郎は、いろいろと原書も 調べて、製氷を試みたという。

 明治31(98)年8月28日の『時事新報』は、宇都宮三郎が試運転をし て「何の苦もなく氷塊を造り出でたり」として「是れ実に本邦人造氷の元祖」 とたたえているそうだが、実のところは、小さな氷塊がいくつか出来たという 程度だったらしい。 その時、製氷作業を手伝った石黒忠悳(のちの軍医総監) の晩年、富田正文先生が直接面接して聞いた談話では、皆で汗だくになって骨 折ったが、結局結氷を見ることができず、やや冷たくなった水に手拭いを浸し て、これでも氷のたまごだから、これで先生の額を冷やしたらどうかと言った くらいに過ぎなかったという話だったという。

 結局、横浜で函館の天然の囲い氷を船で取り寄せて売っているのを、人を派 して買い、徹夜で芝新銭座(現在の浜松町1丁目)の福沢宅まで運んだという。  また、シモンズの処方にあったミルクを買うのに、夏のことであるから手桶の 水に牛乳瓶を漬けて、築地居留地の牛馬会社から新銭座まで、塾生たちがリレ ーで運んだという話が伝えられている。 生死の境をさまよった福沢は、そう した周囲の懸命の看病のおかげで、九死に一生を得、辛うじて回復することが できたのであった。