「世紀をつらぬく福澤諭吉 没後100年記念」展を見て(2)〔昔、書いた福沢113-2〕2019/09/17 07:06

 福沢没後100年ということは、太平洋戦争が始まった(実は私が生まれた) 昭和16(1941)年までが40年、その後、今日までの方が長くて60年という ことになる。 「修身要領」とともに、第一ゾーンに展示されている「教育勅 語」は、帝国憲法発布の翌年、第1回帝国議会の開かれた1890(明治23)年 に出来た。 明治帝国憲法国家は、わずか4、50年で病み、1945(昭和20) 年に60年に満たずして、「教育勅語」とともに滅んだ。 坂井達朗慶應義塾福 沢研究センター所長は、この展覧会のカタログの第一ゾーン「独立自尊迎新世 紀」の概説の結語で、「教育勅語」が滅びたのとは「逆に道徳は時代と共に変化 するという前提から出発する『修身要領』の基層をなした『独立自尊』の精神 的伝統が、世紀を通じて今に生きていることを、我々は感慨深く再確認する」 と書いている。

 会場全体に演説らしい声が流れている。 もとをたどれば、第三ゾーンの「交 際」のコーナーからで、慶應義塾大学理工学部教授小沢慎治研究室で開発され た技術によって、福沢の肉声を復元したものだという。 『学問のすゝめ』と、 1898(明治31)年9月24日の第385回三田演説会において行なわれた福沢の 最後のものと言われる演説「法律と時勢」の冒頭部分だそうだ。 演説につい ては数行分の復元音声に続けて、話題の人俳優石坂浩二さんが残りの全文を朗 読している。 復元した福沢の肉声なるものについては、どうにもコメントの しようがないというのが、正直な感想である。

 「法律と時勢」という「法律 学のすゝめ」とでもいうべき演説だが、何事をやるにも法律の知識が必要な世 の中になったことを説いている。 福沢先生曰く「是れは法律の考が無いから ソンな間抜けた事が幾らも起るのであります。少し諸君の前では言ひにくいや うな話だが、金を出して抱へた妾の如きも、忽ち妾に肘鐡砲を喰はされて、妾 だと言へばソンな失敬なことは言ふなと剣突を喰ひ、威張り出されてからに、 金を出した上にアヤまらなければならぬと云ふやうなことが必ず起りませう。 (中略)法律を知らないと不品行もすることが出来ない、法律を知らなければ 道樂も出来ないと云ふことになる」。 古今亭志ん生なら「こういうなァ、あん まり学校じゃァ教えてくれないけれど……」というようなことを、学校の三田 演説会で教えているのが、可笑しい。 これも第二ゾーンのいうバランス感覚 の一つの現れだろうか。