福沢諭吉の片仮名力(ぢから)〔昔、書いた福沢116〕2019/09/26 06:54

『福澤手帖』第122号(2004(平成16)年9月)の「福沢諭吉の片仮名力(ぢから)」〈『福沢諭吉の手紙を読んで』(1)〉。

          福沢諭吉の片仮名力(ぢから)

岩波文庫の慶應義塾編『福沢諭吉の手紙』は、簡便で、ポケットに入れ、い つでもどこでも読めるのが有難い。 表記のやさしさもあって、あらためて気 づくことが多い。 その一つに福沢の片仮名の面白さがある。 表紙にあるフ ハンシーボールは仮装舞踏会、伊藤博文からの招待を、「家事の都合に由り」と 断っている。 インポルタンス、スクールマーストル、プライウェートビジニ ス、モラルスタントアルド、ソンデイの夜、スピーチュの稽古と、思わず頬が ゆるむような表記もある。

一見なんだか分からないものもある。 そこでクイズだが、つぎの福沢片仮 名の意味がおわかりだろうか。 1.ボーレン 2. ソルレイキ 3.クールス 4. ソッポルト 5.ボートル。 オランダ語をまったく知らないので、なんとも言 えないが、英語をオランダ語読みしているところもあるのだろう。 答は、1. ポーランド 2.ソルトレーク 3.コース 4.サポート 5.バターである。

 人名や地名、外来語を片仮名で書くことを始めたのは、いつ、誰なのだろう か。 『福澤全集緒言』の翻訳の苦心談を読み直し、福沢がその文章中に残し た片仮名の意味を考えているうちに、これは笑っている場合ではないと感じた。  一つ一つの片仮名表記が、立ち上がって、われわれの心に響き、鮮明な記憶と して残る、言霊(ことだま)とでもいうべき力を持っていることに気づいたの だ。 その代表例が「マインドの騒動は今なお止まず」「旧習の惑溺を一掃して 新らしき(書簡原本では「新ラシキ」)エレメントを誘導し、民心の改革をいた したく」「結局我輩の目的は、我邦のナショナリチを保護するの赤心のみ」「あ くまでご勉強の上ご帰国、我ネーションのデスチニーをご担当成られたく」と いう有名な明治7年10月12日付馬場辰猪宛書簡である。

『学問のすゝめ』の、ミッヅルカラッス、マルチルドム、スピイチ、ヲブセ ルウェーション、リーゾニング、『文明論之概略』の、ナショナリチ、シウヰリ ゼイション、スタチスチク、ヒロソヒイとポリチカルマタル、モラルとインテ レクト、フリイ・シチなども、そうした力を持ったキー・ワードだ。 当時の 人々にとっては、われわれが今読むよりも、その一語一語は、光り輝くものだ ったろう。

さらに、手紙の中での日本語の片仮名表記も興味深い。デタラマ(メ)、トン ト忘却、大名同士之カジリヤイ、ブウ\/ドン\/、イメイマシク、ゴマをス ル、フラレタ高尾、ソリャコソコイツは、ナンダカヨサソウダ、ドチラツカズ、 メクサレ金など。江戸後期の戯作の手法の流れを汲み、福沢の特色であるユー モアにあふれ、文章の中で絶妙なアクセントになっている。 言文一致、口語 体への橋渡しの役目も果している。

こう見てきて、片仮名の現行の機能(表音性、強調性、表意性)を、福沢が 明治初年までに、ほぼすべて試みていたことに驚かされる。 福沢の文章中に 天性の感覚でちりばめられた片仮名は、ヴワ゛の発明(『華英通語』)という一 大快挙と合わせ、もっと注目されてよいと思う。

難しい字や漢語を避けて、平易通俗の文章を心がけた福沢は、広く読まれて、 日本の近代化に大きな貢献をした。 「福沢諭吉は、日本の現実の中に生きて いる日本語を用いて、ことば使いの工夫によって、新しい異質な思想を語ろう とした。そのことによって、私たちの日常に生きていることばの意味を変え、 またそれを通して、私たちの現実そのものを変えようとしたのである。」(柳父 章『翻訳語成立事情』) それは文明開化の時代の、新しい日本語表記の実験で あった。 司馬遼太郎は、新しい文章日本語の成立を夏目漱石に帰し、漱石以 前では福沢がその成熟に影響力を持ったとした。(『この国のかたち』六)

紀貫之は『古今和歌集』の序文に、「真名序」と「仮名序」をつけた。 「真 名」とは漢字のことで、当時中国から伝わったものが「真」で、日本で派生し たものは「仮」だった。 貫之が「仮名序」をつけたのは、漢字文化に対する 仮名文化の鮮烈な立ち上げの宣言であり、日本語や日本文字の自覚を強く促し たものだという(松岡正剛帝塚山学院大学教授)。 福沢の片仮名や平易な文体 の実践は、「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」での、紀貫之の仕事の延長 線上にある、近代日本への大きな技術的貢献だったといえるだろう。