読書会「福澤諭吉の女性論・家族論」(1)〔昔、書いた福沢117-1〕2019/09/27 07:23

『福澤手帖』第127号(2005(平成17)年12月)の「読書会「福澤諭吉の女性論・家族論」―西澤直子さんの話を聴いて―」。

    読書会「福澤諭吉の女性論・家族論」―西澤直子さんの話を聴いて―

福沢があの時代になぜ、あれほど斬新な女性論・家族論を書くことができた のかは、私の長い疑問だった。 高校生の頃に出合った伊藤正雄さんの『福沢 諭吉入門』(毎日新聞社)には、「女性の解放―男女平等論と一夫一婦論―」と 「親子の独立―道徳教育はすなわち親父教育」という章があって、前者には「男 ひとりに妾八人もまた不都合ならん」「新婚の新家族は、新苗字を創造すべし」、 後者には「子として家産に依頼すべからず」「第二世にはおのづから第二世の生 活法あり」といったフレーズがあった。 戦後教育、それも六三制実施の初期 に小学校に入学した私は、民主主義のシャワーを浴びて育った。 だが、そこ で教えられた理想が、現実の大人たちの世界と微妙にずれていることに、次第 に気づくようになる。 そんな高校生が、伊藤正雄さんによって紹介された福 沢の女性論・家族論に目をみはり、明治の初期、既にこんな進んだ民主主義的 な議論をしている人のいたことに驚き、たちまち魅せられたのだった。

福澤諭吉協会の2005年度読書会は「福澤諭吉の女性論・家族論」をテーマ として、慶應義塾福澤研究センター助教授の西澤直子さんを講師に、10月29 日と11月5日の二回、三田の研究室で開かれた。 最初に私の挙げた疑問に、 西澤さんは明快に三つの要因を示した。 (1)西洋の論説…J・S・ミルThe subjection of woman『女性の隷従』、(2)西洋体験…幕末三度の海外渡航体験 で女尊男卑の風俗や女性の生き方を実見したこと、(3)成育環境…三田でも親 戚や旧藩主奥平家の沢山の女性に囲まれ、頼られていた。

西澤さんは、福沢の女性論・家族論を、まず三つの時期に分け、福沢の著作 以外の書簡や実際の活動に、さらには読者の反響にも、留意しつつ検討を加え た。

【1】西洋事情外編・中津留別之書から、明治10年頃まで…「一身の独立」。

明治維新後の福沢の最大の関心は、「民」(新しい形の日本人)の創出であっ た、と西澤さんはいう。 一身独立して一家独立、一家独立して一国独立、天 下独立という主張だ。 一身独立した「民」は、精神的に自立し、経済的にも 自立していなければならない。 「男も人なり女も人なり」(『学問のすゝめ』 第8編)、「民」には女性も含まれる。 一国を構成するのは独立した男女でな ければならない。 福沢にとって女性の地位を論じることは、近代のあり方を 論ずることであり、生涯の関心事となるのは当然だった。 「一身独立」のた めには封建的な「家」の解体が重要な命題になる。

【2】明治18,9年から20年代前半まで…「新しい「家」の確立=体系的女性論」。

明治18年『日本婦人論』『日本婦人論後編』『品行論』、明治19年『男女交 際論』『男女交際余論』、明治21年『日本男子論』で福沢が説いたのは、社会 を構成する単位としての新しい「家」の確立と、女性であっても社会的役割を 果たすことだった。 新しい「家」は(1)一夫一婦によって構成される、(2) 対等な男女が愛・敬(尊敬)・恕(お互いの気持になって許しあう)によって結 びつく、(3)夫婦間でも各々の「私有」財産を有し、各「家」ごと独立した活 計を営む、ものだった。 女性の社会的役割については、「男女共有寄合の国」 「日本国民惣体持の国」「国の本は家に在り」と書き、女性に学習・交際の場を 与えることを考えて、著述活動や教育活動を行った。