中津・小倉・下関・萩の旅(3)〔昔、書いた福沢120-3]2019/10/03 07:26

          萩で吉田松陰の史蹟を巡る

 最終日の9日(月)、降っていた雨も、萩に入って松陰神社に着いた頃には ほぼ上り、やがて晴れてきた。 萩への途中、画家・香月泰男さんの愛したい わゆる「私の地球」、絵やテレビ番組で見慣れた山陰三隅の風景が車窓を流れた。 萩で吉田松陰の史蹟を案内してくれたボランティア・ガイドの弘長久美子さ ん、吉田松陰の人と業績を伝えたいという熱意にあふれ、その「至誠」は真っ 直ぐに聞く者の心に通じたのだった。 松陰神社と、その中の松下村塾の建物 を見た後、松陰の誕生地と墓のある、城下町全体と日本海を見下ろす高台(田 床山麓)へ行った。 もうすぐ日本海という松本川の河口近く、雁嶋(がんじ ま)別荘で昼食。 食後、服部禮次郎理事長は、天保元年の吉田松陰と天保5 年の福沢諭吉の生れ年の4年の違いが、両者の運命と日本近代化に対する役割 の明暗を分けたと、今回の中津から萩への旅行を、短いスピーチで見事に総括 して下さった。

         萩の夏みかんと福沢のマルマレット

萩城の城下町周辺を自由散策。 武家屋敷に夏みかんが生っている。 夏み かんは萩の名物・特産品で、維新後、生活に困った武士の庭に植えさせたもの が発端だそうだ。 三本植えると子弟の教育費になるということで…。 それ で山口県の県花は夏みかん、県道や国道の県管轄部分のガードレールは、白で なく、オレンジ色に近い黄色で塗られている。

昼食後の服部さんの話にも出てきたが、福沢は夏みかんでマーマレードを作 っていた。 明治26(1893)年7月2日付、長州阿武郡萩下五間町五十三番 屋敷、松岡勇記宛書簡。 松岡勇記は『福翁自伝』で真っ裸になって物干に涼 む女中をどかしたという適塾の同窓生で、茨城県病院長も務めた医者。 松岡 が送ってくれた夏みかんの礼を述べ、マーマレードの作り方を教えている。

「…夏みかん到来、子供打揃ひ喜び候て毎日\/いたゞき居候。又かの皮は裡 面の綿のやうなる処を去り、表面の方を細に刻み、能くうでこぼして大抵苦味 を除き、一夜水にひやして、更に砂糖を入れて能く\/煮詰めし後ち、所謂マ ルマレットと為り、之をバンなどに付けて用ひ、誠に結構なり。マルマレット とはジャムの一種、西洋にてはヲレンジの皮にて製するものにして、舶来屋に て買へば〔此処に直径一寸七分高さ二寸五分ぐらゐの円筒缶の略図が描いてあ る…『全集』の注〕此位の鑵にて二十五銭位の小売なり。馬鹿に高きものに御 座候。其価は兎も角も、試に御製し被成度、宅にては昨日作りて甚だ評判宜し。 但し砂糖は思切て沢山に用、凡そ皮のうでたるものと当〔等〕分位に致し、或 は水飴を少し混ずるも可なり。随分面白き調理に御座候。」

福沢の中津から始まり、福沢とは無関係かと思われた萩で終ったこの旅に、 福沢のマルマレットという素敵な落ちがついた。