トクヴィルと福沢諭吉(1)〔昔、書いた福沢143-1〕2019/10/30 07:04

       日本橋界隈の句碑など<小人閑居日記 2002.5.18.>

 福沢諭吉協会の総会が、日本橋の三井本館に間借り中の交詢社であった。 阿 川尚之さん(慶應義塾大学総合政策学部教授・作家阿川弘之氏の長男)の「ト クヴィルの見たアメリカ、福沢諭吉の見たアメリカ」という記念講演を聴いた。  その話は、また別に書く。

 日本橋に行ったので、神茂のはんぺんと、高島屋で扇屋の玉子焼を買ってき た。 神茂で日本橋一歩会という「日本橋北・室町・本町」名店会の地図をも らったら、界隈にある「芭蕉句碑」や「日本橋魚河岸記念碑」「三浦按針屋敷碑」 の場所と説明があった。 このあたり、割によく行く所だが、そんな碑をあら ためて見たことがなかった。 神茂の斜め前、日本橋鮒佐の所にある「芭蕉句 碑」は「発句也松尾桃青宿の春」、ここ日本橋小田原町で宗匠として念願の独立 を果した芭蕉の喜びと意気込みが伝わってくるという。 日本橋橋際の「日本 橋魚河岸記念碑」には、竜宮城のお遣いとしての乙姫像と久保田万太郎の「東 京に江戸のまことのしぐれかな」の句があるという。 今度、ゆっくり見に行 ってみよう。

       トクヴィルと福沢諭吉<小人閑居日記 2002.5.26.>

 「また別に書く」と書いた阿川尚之さん(慶應義塾大学総合政策学部教授・ 作家阿川弘之氏の長男)の「トクヴィルの見たアメリカ、福沢諭吉の見たアメ リカ」という5月18日の講演は、なかなか歯切れがよくて面白く、勉強にな った。 阿川さんは、慶應を二度中退しているという。 法学部3年の時、ジ ョージタウン大に留学して一回、ソニー勤務の折か、友達の結婚式の司会をし たら列席していた法学部の教授に「もったいない」といわれたので通信教育で 卒業しようとしたが、またアメリカのロースクールへ行くことになったので二 回。 1951年生れで、ニューヨーク州およびワシントンDCの弁護士資格 を持ち、アメリカの法律事務所勤務、ヴァージニア大学ロースクール客員教授 などを経て、二度中退した大学の教授になった。

 アレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)は、フランス・ノルマン ディーの貴族出身の法律家で、革命に揺れ王制から共和制へ向う時代の激しい 流れの中、1831年、26歳の時、親友で同僚のギュスターヴ・ド・ボーモ ンと二人、新生の民主主義実験国アメリカに渡り、10か月間、当時はミシシ ッピーの東側24州だったアメリカ合衆国の各地を、当時すでに発達していた 蒸気船網などを使って、精力的に見て回り、フレンドリーでよくしゃべる沢山 の人々に会い、克明なノートや日記、たくさんの手紙を書いた。 その体験を もとに深い考察と思索によって著された『アメリカにおける民主主義』(183 5年)は、160年以上経った今日でも、アメリカ合衆国や民主主義研究の必 須の書で、さまざまの身近な場面で引用されている。

 福沢諭吉(1835-1901)は、トクヴィルの約30年後の1860年 (25歳)と、1867年(32歳)の二回アメリカへ渡航している。 トク ヴィルの『アメリカにおける民主主義』は、英訳本やその小幡篤次郎訳で読み、 『分権論』(明治10年・1878年)に、その影響が最も顕著に現れている。 (つづく)

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