トクヴィルと福沢諭吉(2)〔昔、書いた福沢143-2〕2019/10/31 07:07

     自治のアメリカ、群れるアメリカ<小人閑居日記 2002.5.28.>

 トクヴィルとボーモンは、とくにボストンやフィラデルフィアで、アメリカ 民主主義の実態と根幹に触れた。 州は、小さな共和政体である町(タウン) の連合だ。 それぞれ首長を選び、自分たちのことは自分で行なっている。 彼 らを結びつけるのが州議会。 町の権限は法律で定められ、その範囲を越える ことがらだけが、州議会の管轄になっている。 さらに、州が集まって、国を つくっている。 政府が口出ししない結果、個人が自分自身で何でもやる習慣 がつく。 他から助けを求めず、自分で考え、自分で対処する。 大学、病院、 道路などを建てよう、改良しようとするとき、政府に陳情することなど考えも しない。 教育も政府に任せては駄目だ、フランスで教育助成のための公的基 金を設けることなど、絶対やめろと言われている。(阿川さんは金をかけた「本 郷の大学」にふれた) 

 裁判もまた自分たちの手で行なう。 トクヴィルは、陪審制度が人々に、自 分達の問題を自分自身で解決することを教え、社会問題解決を自分自身の仕事 とみなすようにさせることの重要性を見た。

 アメリカ人はまた、何かというと集まってアソシエーション、すなわち各種 の団体を、変幻自在に結成する傾向がある。(阿川さんは福沢諭吉協会はアソシ エーションそのものと言った) 商業上の連合、政治、文学、宗教上の団体を つくる。 決してお上へ陳情して成功をめざすのではなく、個人の才覚に訴え て調和ある行動を組織し、成功へと進む。 その最も極端な例が禁酒協会で、 ニューヨークに727、マサチューセッツに209、全国で2千以上ある、と トクヴィルは報告している。 民主政体のもとでは、すべての人は独立してお り力がない。 自分一人では何もできない。 互いに協力し、共同歩調を取る 習慣を身につけないかぎり、文明は危殆に瀕するからだろうと、トクヴィルは 考える。(つづく)

        握手、対等なアメリカ<小人閑居日記 2002.5.29.>

 阿川尚之さんは『トクヴィルとアメリカへ』で、イギリス人や日本人が初対 面の人にたいして回りくどい態度をとるのに対して、アメリカ人は簡単に握手 する、と書いている。(講演では、瀋陽の副領事は握手しますけどと言った) ト クヴィルの時代も同じだったようで、「アメリカには少なくとも表面上、信じら れないほどの平等が行き渡っている。 すべての階層の者が、常に互いに交流 している。 社会的地位の差ゆえの傲慢は、露ほども見かけられない。 みん な握手を交わす。 カナンダイグアの刑務所では(トクヴィルとボーモンはア メリカの刑務所制度視察の名目で渡米した)、検察官が囚人と握手しているのを 見た」

 トクヴィルとボーモンは、ホワイトハウスでアンドリュー・ジャクソン大統 領に面会している。 19世紀には大統領が面会日を定めていて、その日訪れ ればだれでも大統領に会えたらしい。 それから35年後にワシントンを訪れ た福沢諭吉は、日記帳にホワイトハウスの見取り図を描いて、その片隅に「冬 の間一週一度大統領国民え面会」と記した。 福沢が会ったのは、リンカーン 暗殺のあとを継いだアンドリュー・ジョンソン大統領だ。 漂流民ジョセフ・ ヒコにいたっては、ホワイトハウスでビアス、ブキャナン、リンカーンの三人 の大統領に面会している。 ヒコはビアス大統領を訪れた時、護衛も家来もな く、大して豪華でない家に住み、普通の服を着て気さくに対等に客と話す紳士 が国家元首だとは、どうしても信じられなかったと、自伝に記しているという。

      『トクヴィルとアメリカへ』の雑学<小人閑居日記 2002.5.30.>

 初期の植民地では、ヴァージニアあたりでも当然、インディアンとの確執が あった。 ディズニーのアニメにもなった「ポカホンタス」は、12歳のイン ディアンの少女で、ヴァージニアの初期植民地ジェームズタウンの長、キャプ テン・ジョン・スミスがインディアンのラパハノック族に捕らわれた時、スミ スと仲良くなって、父親である部族の長ポーハタンが処刑を命じると身を投げ 出して、彼の命を救った。 万延元(1860)年に遣米使節を乗せ、咸臨丸 とともに太平洋を渡ったアメリカの軍艦ポーハタン号は、「ポカホンタス」の父 親の名に由来していたのであった。

 トクヴィルはメンフィス滞在中、二年前にこの地区から選出された、変り者 の下院議員の話を聞く。 学校へ行ったことがなく、ほとんど字が読めない。  財産がなく、住所不定。 森の中に住み、狩りをして獲物を売って生計を立て ている。 トクヴィルは日記に「普通選挙が実施されると、これほどひどい人 を選ぶことになる」と記し、民主主義の弊害を心配した。 その議員の名は、 デーヴィッド・クロケット。 5年後、テキサスの独立をめざすアメリカ人の 一群が、サンアントニオの町にあるアラモの砦で玉砕したなかに、この冒険家 がいて、アメリカ史に名を残すことになるとは、さすがのトクヴィルにも想像 がつかなかった。

 ミシシッピー川をニューオーリンズへ向う船上で、サム・ヒューストンとい う面白い男に会った。 テネシー州の知事まで務めたが、家庭がうまくいかず、 妻を捨てて奥地に逃げ込み、チェロキー族インディアンの社会に入り、族長の 養子となって、その娘をめとって、何年間かを暮した。 トクヴィル達が会っ た時は、再び白人社会に戻る決心をして、同じルイヴィル号の船客となってい たのだった。 5年後、サム・ヒューストンはテキサスに姿を現わす。 馬に またがり、テキサス独立軍の指揮官として、「アラモの屈辱を忘れるな」と叫び ながら、メキシコ軍を散々に打ち破った。 彼はメキシコから独立したテキサ ス共和国の初代大統領になり、その名は、テキサスの大都会の名として、今で も残っている。

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