北岡伸一さんの「福沢諭吉と伊藤博文」[昔、書いた福沢153]2019/11/17 07:23

     北岡伸一さんの「福沢諭吉と伊藤博文」<小人閑居日記 2002.9.28.>

 先月の「等々力短信」に書いた『独立自尊 福沢諭吉の挑戦』(講談社)の北 岡伸一東大教授が、福沢諭吉協会の土曜セミナーで「福沢諭吉と伊藤博文」と いう話をした。

 伊藤は福沢より6歳年少、この時期に異例ともいえる外国体験をした福沢と 同じように、20回くらいは外国へ行っていて、その海外体験が伊藤の重要な 資産になっているという。 福沢と伊藤は、明治14年の政変で決定的に対立 して、それ以後、福沢の晩年にその園遊会で会うまで、疎遠に過ごした。

 しかし、両者には意外に似ているところがあると、北岡さんは言う。 英学 派、漸進論、文官優位、外交の優位、海洋国家の主張など。 対立の理由は、 福沢が思想家(教育者)で、伊藤が最も政治家らしい政治家であった点にある のではないか、という。 伊藤は機敏な行動家で、ものごとを取りまとめてい く周旋家としての才能は天才的なものがあった。 福沢はフェアな人で、対立 はしながらも、そうした政治家としての伊藤の必要性を認識し、その果敢な実 行力に期待し、伊藤がよいことをすれば、ほめた。 例えば、明治18年、伊 藤が内閣制度を作り、総理大臣になったことをほめた。 下級士族の出で、最 高の地位につく、維新革命はここに完成したのである。

 明治14年の政変は、そうした伊藤の「政治家」がもろに出たもので、軍事、 警察を握っていた薩摩閥と組んで伊藤がそれを牛耳る方が、大隈重信と組んで 大隈の下につくよりも良策であるという計算があって、その政治のためには福 沢を切り捨ててもという判断があったのではないか、というのだ。

     福沢諭吉の伊藤博文宛書簡<小人閑居日記 2002.9.29.>

 北岡伸一さんの講演を聴きに行く前に、少し予習をして、福沢諭吉の伊藤博 文宛書簡を調べてみた。 井上馨と宛名連名の2通を含め、7通が『福沢諭吉 書簡集』に収録されている。

 明治11(1878)年5月16日、大久保利通の暗殺後、身辺警護の強化 するよう注意したのが最初(大久保の後継者とみて伊藤だけに宛てたのか、他 の人物宛ては見つかっていないという)。 明治12(1879)年2月10日、 4月3日、4月8日の3通は、西南戦争後の慶應義塾の財政危機に際して、そ の維持資金の借用を政府に働きかけたもの。 伊藤内務卿の内務省が「ヅロー ウヰンルーム」(drawing room=受付窓口)のようだが、門前払いしないで閣議 にかけてもらいたい、という文言もある。

 明治14年10月14日、30日(ともに井上馨と連名)、明治14年の政変 によって、依頼されていた新聞発行が立ち消えとなった理由の説明を求めたも の。 とくに10月14日付は、政変2日後に『書簡集』で11ページにもわ たる長文の手紙を書いて難詰している。 明治20(1887)年4月14日、 鹿鳴館時代、永田町伊藤邸でのフハンシボール(仮装舞踏会)への招待を断わ ったもの。 「同日ハ家事之都合ニ由り拝趨仕兼候」と、そっけなく断わって いる。

      『言海』出版祝賀会序列問題<小人閑居日記 2002.9.30.>

 福沢諭吉と伊藤博文の関係でよく取り上げられるのは、大槻文彦の国語辞書 『言海』出版祝賀会の一件である。 明治24(1891)年6月紅葉館で開 かれた祝賀会のプログラムに、伊藤博文の祝辞が真っ先に述べられ、次に福沢 の贈った祝辞が朗読されるとあったのを見て、福沢が噛みついた。 「文事に 関し今の所謂貴顕なるものと伍を成すを好まざるに付」「学問教育の社会と政治 社会とは全く別のものなり。学問に縁なき政治家と学事に伍を成す、既に間違 なり。況んや学者にして政治家に尾するが如き、老生抔の思寄らぬ所に御座候」 といい、欠席すると伝えた上、プログラムから自分の名前を除いてもらいたい と発起人に要求し、すでに刷り上がっていたプログラムを廃棄させて、刷り直 させた。

 小泉信三さんは岩波新書の『福沢諭吉』で「常に自尊自重し、いやしくも学 者の権威を損うことなきは福沢の終始きびしく意を用いたところであったが、 当時在朝第一の政治家と目された伊藤博文について文事に関しては同列に立つ を好まぬとまで言ったについては、福沢の心中前年(明治14年政変)の伊藤、 井上の背信にたいする不快の記憶がなお消えず、その態度を一層厳格にさせた ということはなかったか」と書いている。 北岡伸一さんも「ちょっと腹いせ も」と、言った。 福沢の「敢為(物事をおしきってする)の精神」をよく伝 えるエピソードではあるが、あまり学問対政治の美談にし過ぎるのはいかがか と思う点で、お二人の意見に私も賛成である。

コメント

_ 轟亭(北岡伸一さん) ― 2019/11/17 07:56

 先月の「等々力短信」に書いた『独立自尊 福沢諭吉の挑戦』(講談社)の北岡伸一東大教授というのは、第918号 2002.8.25. 「なぜ一万円札の顔なのか」で、なぜ一万円札の顔なのか〔昔、書いた福沢98〕<小人閑居日記 2019.8.16.>で読める。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック