『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』[昔、書いた福沢157]2019/11/22 07:12

     『たそがれ清兵衛』と『福翁自伝』<小人閑居日記 2002.12.4.>

 山田洋次監督初の時代劇映画『たそがれ清兵衛』を観た。 舞台は海坂(う なさか)藩、藤沢周平さんの三作品を原作としているから、月山や鳥海山を望 む風景も、「で、がんす」という言葉も、父方のルーツの地である山形庄内の鶴 岡のもので、なつかしい感じがすると同時に、観終って、父に観せたかったと いう思いにとらえられたのであった。

 清兵衛(真田広之)は五十石取の下級武士である。 それも二十石は借上げ (諸藩が財政窮乏のため、家臣に対して知行高や扶持高をへらしたこと)だっ たから、実質三十石だった。 長く労咳を患って死んだ妻の治療費や葬式代の ための借金を抱え、たそがれとともに酒の誘いなどには付き合えず帰宅、夜遅 くまで内職の虫籠づくりをしながら、もうろくした母と幼い二人の娘の面倒を みて、ひどく貧しく暮している。 すぐ思い出すのは、中津藩の下級武士だっ た福沢諭吉の家の暮しである。 十三石二人扶持というから、「たそがれ清兵衛」 よりも、たそがれている。 『福翁自伝』には、少年時代からなんでも自分で やり、下駄づくりや刀剣の細工の内職をしたことが書かれている。

 山田洋次監督は、ほんの少し前の祖先である幕末の下級武士の暮しがどんな ものか、そんな辛い環境で暮しながら、どこか凛としていた姿を、リアルに描 きたかったのだという。 監督の祖父は、九州の小さな藩の下級武士の息子だ ったのだそうだ。 たそがれ清兵衛の親友で、宮沢りえの演じた飯沼朋江の兄、 倫之丞役の吹越満は撮影前に、山田監督から『福翁自伝』を渡されたという。  吹越満は「幕末の山形では、江戸や京都で何が起っているか普通の侍はまだ気 づいていないけれど、僕が演じる飯沼は情報を仕入れてきて、「このままじゃ駄 目だ」と言う。 これは諭吉と同じようなものをきちんと背負っている、とい うことだと思うんですが。 この本は読み物として面白かったですね」と語っ ている。 私は監督が読ませた意図は、下級武士の暮しの方に力点があったと 思うのだが、監督の念頭に『福翁自伝』があった証拠として、このプログラム にある話は面白い。

       『たそがれ清兵衛』と黒澤明<小人閑居日記 2002.12.5.>

 プログラムの「『たそがれ清兵衛』試論--あるいは山田洋次の「冒険」」と いう文章に、吉村英夫さん(テレビで山田洋次監督に寅さん映画について聞い ているのを、見たことがある)が、本格的なリアリズム時代劇に取り組んだ山 田監督には、黒澤明が念頭にあったのは事実である、と書いている。 衣裳担 当に『夢』以降の黒澤作品のそれを担当した黒澤の長女、和子を起用した。 野 上照代など黒澤組スタッフからの助言も得ている。 敵役に舞踏家田中泯とい う異色の起用をした、クライマックスの暗い室内での凄絶な殺陣のシーンなど は、明らかに黒澤明の影響だろう。 原作の一つ「竹光始末」は、浪人者が上 意討ちを成しとげれば仕官の願いを叶えようという話だという。 その線で書 かれた最初のシナリオが、映画のように書き直されたのは、黒澤の遺作シナリ オを黒澤組が撮った『雨あがる』を意識したからではなかったのか。

 吉村英夫さんによれば、かつて黒澤明は山田監督に「わからないんですよ。  侍が具体的にどういう生活をしていたのか。 朝、顔を洗ったのか、歯を磨い たのか、城で食事をするとしても、弁当持参なのか給食なのか」(1991年『対 話・山田洋次』旬報社)と語ったという。 『たそがれ清兵衛』では、少し足 りない下男直太(神戸浩。貧しい下級武士にも規則で下男が必要だったのだろ う)が、弁当を持って登城する。 内職代の支払いに来る男に、湯銭の上がっ たのを理由に、値上げを頼んでいるが、風呂屋へ行ったのだろうか。 宮沢り えの朋江が会津の家中に嫁に行くという話があるが、藩の領域を越えての結婚 はあったのだろうか。 米どころの庄内で、百姓の子が飢餓で死に、川を流れ て来るということがあったのだろうか。 細かいことをいえば、そんなことが 気になった。