「いろは加留多も御存じないか」[昔、書いた福沢165]2019/11/30 07:03

      「いろは加留多も御存じないか」<小人閑居日記 2003.2.26.>

 「福沢諭吉いろはがるた」<等々力短信 第924号 2003.2.25.>、好評と いうか、珍しく反響が多い。(参照・福沢諭吉いろはがるた〔昔、書いた福沢 100〕<小人閑居日記 2019.8.18.>試作「福沢諭吉いろはがるた」〔昔、書い た福沢101〕<小人閑居日記 2019.8.19.>) まだ言葉の代案は、来ないけ れど。

 「いろはがるた」にする言葉をさがして、『福沢諭吉全集』をあちこちひっく りかえしている間に偶然、福沢自身が「いろは加留多も御存じないか」という 「漫言」を書いているのを見つけた。 『全集』第8巻341頁、明治15年 9月18日の『時事新報』に載ったものだ。 「餅は餅屋」という諺は、分業 専門の利を示した万古不動の大訓だと、福沢はいう。 それが「高天原の神官 殿や遠足猪狩の荒武者殿が新聞記者を兼業して、時勢に逆ひ世論を圧し、見事 武運をせしめんとする」ものがいるというのだ。 註に、当時有名な皇学者丸 山作楽の経営する政府の御用新聞『明治日報』を風刺したものだとある。

         福沢の「男女同数論」<小人閑居日記 2003.2.27.>

 「福沢諭吉いろはがるた」をつくっている時、『福沢諭吉全集』で、もう一つ 「イロハがるた」を見つけた。 「を」に「男ひとりに妾(めかけ)八人もま た不都合ならん(全集19-552)」を選んだが、その前段が「イロハがるたの娘 ひとりに婿八人が不都合ならば、」だったのだった。 福沢が明治8年3月の『明 六雑誌』第31号に書いた「男女同数論」にある。 その「娘ひとりに婿八人」 だが、三省堂『実用 ことわざ慣用句辞典』「東西いろはがるた一覧」の江戸、 京都、大阪の、どれにもない。 「む」は、江戸が「無理が通れば道理引っ込 む」、京都が「昔操(と)った杵柄」、大阪が「無芸大食」となっているからだ。

 そこで「男女同数論」だが「近日男女同権の議論甚だ喧して」と始まる。 「男 女同権」論の流行は、第二次世界大戦後だけではなかったのだ。 福沢は事物 の議論をするには、まずその事物の「品柄」を吟味しなければならないという。  男女同権論についても、まず「男女」の何物であるかを理解し、「権」の何事で あるかをはっきりとさせて、その後で利害得失の議論にとりかかるべきだとす る。 そしてまず手近なソロバンづくの話として、「男女同数論」を持ち出す。  世界中の男と女の数は、ほぼ同じだから、男一人と女一人が相対して夫婦にな るべき勘定だ、というのだ。 男一人に女数人の交際はソロバンの勘定に合わ ないから、よろしくないとして、まずこれを同権の初段として、それからの議 論は学問の上達するまで引き延ばしにしたらどうか、という。 これも時期尚 早というなら、「妾(めかけ)を養ふことも芸者を買ふことも黙して許さん。 唯 これを内證にして人に隠す可し。 人に隠すは恥るの初なり。 人に恥るは自 から禁ずるの初なり。 此同権の初段世に行はれて数年の後に今の水掛論も何 れにか落着に及ぶ可きなり。」

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