『東日流(つがる)外(そと)三郡誌』“発見”の現場[昔、書いた福沢168]2019/12/11 07:07

     『東日流外三郡誌』“発見”の現場<小人閑居日記 2003.3.19.>

 1月2月の「等々力短信」に書いた「或る「と云へり」説」(或る「と云へり」 説〔昔、書いた福沢99〕<小人閑居日記 2019.8.17.>福沢諭吉いろはがるた〔昔、書いた福沢100〕<小人閑居日記 2019.8.18.>)が贋作者の手になる と教えてくれた先生から、15日の福沢諭吉協会総会と土曜セミナーで、『東奥 日報』と付属文書のコピーを頂いた。 『東奥日報』は、2003年2月28 日付、原田実さんという古代史研究家の「寄稿」で、見出しに「事実に基づき 物事判断を」「論争呼んだ古文書『東日流外三郡誌』“発見”の家訪ねて」「中2 階は文献偽作の場か」となっている。

 『東日流(つがる)外(そと)三郡誌』は、1947,8年頃、五所川原市 の農家で写本が発見されたとされる。 1993(平成5)年頃、真贋論争が 激化し、1月の短信に書いた大学教授やマスコミ関係者など真作論者側は、こ の農家から江戸時代寛政期に書かれた原本が出てくれば、すべての疑惑が晴れ ると主張した。 天井裏の未開封のつづらに、原本の存在を請け合っていたと いう“発見者”は、その「寛政原本」を出さないまま、99年に亡くなり、そ の建物は最近、親族(“発見者”のいとこの女性)の手に渡った。 原田実さん は、現所有者の許可を得て、建物を調べたが、この家は天井裏に物が隠せる構 造ではなかった。 少女時代、この家に住んだことのある現所有者によれば、 この家は1940年ごろの建築で、古い物は何も伝えられていなかったという。

 「本」になっていると、どうしても信じてしまう。 それも大学教授の著書 である。 「権威にだまされるな」「ガセネタに注意」というのが、今回の教訓 だった。

(令和元年の脚注・この件を私に教えて下さった先生は、故西川俊作先生。)