幕末の横浜[昔、書いた福沢170]2019/12/14 07:10

 [昔、書いた福沢]の範囲をちょっと広げて、生麦事件に関連して書いたも のも出すことにする。

     「神奈川宿」の外国公館と外国人<小人閑居日記 2003.4.18.>

 「新・横濱歴史散歩」では、来月の現地散策で「神奈川宿」周辺を歩く予定 になっている。 先日の講義で、神奈川に各国が領事館を開設し、ヘボンやブ ラウンやシモンズが住んでいたころの地図をもらった。 お寺が、それに当て られているのは、ある程度の広さがある家ということで、お上の命令で本堂や 庫裏を住職から取り上げたものだったそうだ。 望月洋子さんの『ヘボンの生 涯と日本語』には、神奈川の寺が、片端から外国人用に明け渡された気前のよ さはハリスも驚いたほどで、内外人の衝突を恐れた幕府の、応急処置だとある。  下田や高輪でも、事情は同じなのだろう。

 地図には、東海道の山側、川崎よりから慶運寺に仏コンシュル(領事館)、成 仏寺に亜(アメリカ)ヘイボン(ヘボン)ブラオン(ブラウン)、川を渡って浄 瀧寺に英コンシュル、その海寄りに英リンブランク、宗興寺にセメンズ(シモ ンズ、のちに福沢諭吉の親友になる医師)、宮ノ河岸渡船場を過ぎて、少し程ケ 谷宿寄りの甚行寺に仏ミニストル(公使館)、本覚寺に亜コンシュルの文字が見 える。

 1862年9月14日(文久2年8月21日)六郷川(多摩川)から酒匂川 までの範囲は外人遊歩区域になっていたので、横浜から4人のイギリス人が遠 乗りして川崎大師見物に出かけた。 途中、薩摩藩主の父で実力者の島津久光 の行列と遭遇して、生麦事件が起こる。 リチャードソンは殺され、ボロディ ール夫人は横浜村まで半狂乱で逃げて行ったが、重傷を負ったクラークとマー シャルは、亜コンシュル(アメリカ領事館)のあった本覚寺に逃げ込んだ。 領 事の急報でヘボンが本覚寺に駆け付けると、肩を骨に達するまで斬られたクラ ークと、背と脇を数か所斬られたマーシャルが、血みどろのまま寝かされてい た。 ヘボンは止血鉗子で出血をとめ、傷口を縫合した。