清家篤さんの「生涯現役社会をめざして」その2[昔、書いた福沢184]2019/12/28 07:05

       2014年、四人に一人が高齢者<小人閑居日記 2003.7.10.>

 1973(昭和48)年当時のことを考えると、そうした「年金を2倍に」 という政策転換には、それなりの根拠があった。 公的年金の財政方式として 『積立方式』をとるか、『賦課方式』をとるか、経済学的には、簡便な公式があ る。

賃金上昇率+人口増加率>資金の運用利回り なら 『賦課方式』が望ましい

賃金上昇率+人口増加率<資金の運用利回り なら 『積立方式』が望ましい

 73年当時、人口は順調に増加していたし、賃金上昇率は二桁だった。 資 金の運用利回りも、現在にくらべれば相当高かったが、賃金上昇率と人口増加 率の和は優に資金の運用利回りを上回っていた。 清家さんは、戦後の復興期 を苦労して生き抜き、日本を高度成長期に導いた世代に対して、たとえ積立は 不十分でも、しっかりとした年金を給付しようという政治的、社会的合意形成 がなされたのは理解できる、という。

 国連の定義で「高齢(65歳以上)人口比率」が7%を超えると「高齢化社 会(Ageing Society)」、14%を超えると「高齢社会(Aged Society)」という。  日本は大阪万博の1970年に「高齢化社会」になり、ほぼ四半世紀という世 界に類を見ないスピードで、1994年には「高齢社会」になった。 11年 後の2014年には、高齢人口比率が25%を超えると推計されている。 四 人に一人が65歳以上の高齢者になるわけだ。

 本格的高齢社会では、年金制度は『積立方式』が望ましいことが明らかだが、 いったん『賦課方式』にしてしまったものを『積立方式』に戻すことは、きわ めて困難だ。 現役世代に、自分たちの将来のための『積立』保険料と、高齢 世代に約束した分も含めた『賦課方式』の保険料の、二重の負担を強いること になるからだ。 清家篤さんの結論は、「基本的には『賦課方式』を前提に、公 的年金制度を高齢者の多い人口構造のもとで、うまく機能するように変革すれ ばよい」というものだ。

      少子化に関するベッカーの理論<小人閑居日記 2003.7.11.>

 清家篤さんの「生涯現役社会をめざして」で、興味をひかれたところを、も う一つ紹介する。 人口の高齢化をもたらすものに、長寿化と少子化の二つの 要因があるが、どちらも経済発展、経済成長の結果である。 そのうち少子化 を経済学的に説明したのが、労働や家族の経済学でノーベル賞をとったアメリ カの経済学者ゲーリー・ベッカーだ。 豊かな社会では親にとっての子供が「消 費財」になる(貧しい伝統社会では子供は親の仕事を手伝い、老後の面倒を見 てくれる「投資財」だった)ということ、そして所得の上昇とともに親は子供 の量(数)よりも質を重視するようになる、というのである。 ここで「消費 財」というのは、子育てが楽しいことだから、子供をつくるということだ。 「質」 というのは、親の所得が増えると、子供の数を増やすのでなく、子供一人当た りにより多くの教育費など子供の幸福度を高めるような支出を増やして満足感 を高めようとする。 女性が出産と育児を担うことによって失われる賃金所得 (経済発展でそれは増大する)が、子供の数を減らす効果を持つ。 経済発展 とそれにともなう所得増加は、この両面から子供の数を減らす方向に作用する というのがベッカーの理論で、他の先進国と同様、戦後の日本も、ベッカーの理論通りの筋道をたどって、少子化が進行した。

 ちょうど親の世代の人口を置き換えるのに必要な出生率は、2.08程度と 推計されている。 先進各国の出生率に二極分化がみられる。 アメリカやイ ギリス、フランス、北欧諸国などの出生率は比較的高く(2に近い)、逆に、日 本、ドイツ、イタリア、スペインなどは低く、出生率が1に近い水準になって しまっている。 なぜか第二次世界大戦に負けた側で出生率の低下が著しい。  これは出生率の低い国々では、正式の婚姻重視といった伝統的な家族観、仕事 と家庭にかんする男女の役割分業といった伝統的性別役割観が、まだ根強く残 っているためと考えられているという。 一方、出生率の高い国々では、正式 の婚姻関係によらない出生が無視できない高い比率で存在し、また男性が家事 育児をよく分担するという。