横浜関内散歩[昔、書いた福沢185]2019/12/29 07:36

    横浜関内散歩1 桜木町から馬車道まで<小人閑居日記 2003.7.23.>

 いささか旧聞だが12日の土曜日の午後、「新・横濱歴史散歩」の4回目、関 内を散歩して来た。 雨の予想が、幸い晴れたものの、暑い中の長い散歩は、 なかなか大変だと思われた。 東横線の桜木町駅改札口で集合、石川潔さんに ここが最初の横浜駅だったという話を聞く。 明治5(1872)年に開通し た日本最初の鉄道は新橋-横浜間を一日二往復、53分という案外な速さで走 った。 国道16号線を渡って、ぴおシティ前から、大岡川にかかる大江橋(神 奈川権令(ごんれい)で明治5(1872)年マリア・ルース号事件の裁判長 を務めた大江卓の名を取った由)を渡り、指路教会へ。 指路教会はヘボン塾 に学んでいた青年たちを中心に、キリスト教禁令の高札が外された翌年の明治 7(1877)年、米国長老教会宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師に設立 された。 「指路」はヘボンの命名。 関東大震災後の建築で、横浜市の歴史 的建造物だという現会堂の内部に入れていただく。 2000年11月に完成 したという立派なパイプオルガンの音が響いていた。 発祥の地という明治屋 を右折、裏へ回り込んで、右へ行けば伊勢佐木町、左へ行けば馬車道となる吉 田橋の跡へ。 ここに文久2(1862)年外国人居留地への主な入口となる 関門が設けられた。 最初は木の橋だったのを、お雇い外国人イギリス人技師 ブラントンに依頼し、「かねの橋」鉄橋に架けかえた(明治2(1869)年完 成)。

 左折して馬車道を歩く。 アイスクリーム発祥の地を記念する母子像彫刻、 写真機の形をした下岡蓮杖写真館跡の記念碑、明治5(1872)年に高島嘉 右衛門が灯したガス灯を複製した記念碑などを見ながら、今は神奈川県立歴史 博物館になっている青いドームが美しい旧横浜正金銀行本店へ。 明治32(1 899)年のドイツ・ルネッサンス様式、花崗岩の建物は、妻木頼黄の設計で 彼の代表建築という。 横浜正金銀行は、福沢諭吉とも縁が深い。 

       横浜関内散歩2 海岸通りの前半<小人閑居日記 2003.7.24.>

 馬車道を、桜木町駅から弁天橋を渡って来るメインの道である本町通りとの 交差点で右折、今は昔日のという感じの漂う横浜の銀行街を行き、横浜銀行倶 楽部のところで関内大通りへ左折、正面に二本線のマークの日本郵船の横浜支 店ビルが見えてくる。 16本のコリント式列柱が、50メートルに渡って並 んでいて壮観だ。 この高さで3階建、さぞ使いにくいだろうが、しばしば伝 記や小説に登場するミナトヨコハマの記念物である。 右折してその前の海岸 通りを行くと、左手にテレビのニュースでよく見る建物、悪名高き神奈川県警 だ。 左に「クィーンの塔」の横浜税関、右に「キングの塔」の神奈川県庁、 ともにチェスの駒からそう呼ばれたのに、今の横浜市開港記念会館をのちに「ジ ャックの塔」と呼ぶことにしたのは、チェスに「ジャック」がないのを知らな い田舎者の仕業だとは、石川さんの弁。

 税関を右折、いったん本町通りに出て県庁を回り込む。 日本大通りとの交 差点角が、開港時の神奈川運上所の跡、信号を渡った横浜港郵便局は日本最初 の外国郵便取扱の場所で、それまでは各国の領事館へ持って行ったのだそうだ。  日本大通りを旧イギリス領事館だった横浜開港資料館へ。 ここの中庭にはペ リー上陸、日米和親条約締結の絵に描かれている玉楠の木といわれる木がある。  入口の元の守衛詰所が喫茶店になっていて、その名も「ペリー」。 隣の日本最 初のプロテスタント教会である、横浜海岸教会を外から眺める。 この教会に まつわる私の個人的な思い出は、4月14日の日記に書いた。 何度もそばへ 行っていながら、その教会の前に立つのは、実に半世紀近い49年ぶりのこと だった。

    横浜関内散歩3 山下公園、ヘボン邸、中華街<小人閑居日記 2003.7.25.>

 開港広場の記念碑を見て、信号を渡るとシルクセンター。 角の木が、見覚 えのあるみずみずしい葉っぱをつけている。 桑の木だ。 山下公園に入り、 インド水塔というのを見る。 山下公園には何度も行っているが、こんなもの があるのを知らなかった。 インド商人・居留民が関東大震災の折に世話にな ったということで建てたもの、天井を見上げるとインドの色のタイルがある。  赤い靴はいていた女の子の像、女の子が宣教師に連れられてアメリカに行く前 に、結核のために麻布鳥居坂の施設で亡くなった話を聞く(そういえば麻布十 番にも像がある)。 氷川丸(1万2千トンだそうだ、1万トンという船の目安 になる)の所で山下公園を出て、バンド(海岸通り)を行き、ホテル・ニュー グランドの本館で右折、中庭に入れるので、ちょと覗く。

 一本裏の Water street 水町通りを、人形の家の裏まで行く。 合同庁舎の 所が居留地39番、ヘボン邸の跡で、記念碑がある。 そこから眺める道路標 識は MOTOMACHI と、ヘボン式だった。 谷戸橋を右折、居留地80番カソ リックの横浜天主教教会跡を左折して中華街へ。 関帝廟通りをまっつぐに、 関帝廟を覗いて、地久門を右折。 回転飲茶(回転寿司の亜流)や、中国喫茶 の店(けっこう高いらしい)が出来ている。 善隣門の前を左折、横浜スタジ アムの横浜公園へ。 「かねの橋」、燈台、下水道、都市計画など横浜に多大な 功績を残したブラントンの胸像を見て、日本大通りへ。 日銀横浜支店で左折 して、横浜市開港記念会館横の岡倉天心誕生地の碑(福井藩が土地の名主の名 義と土地を借り「石川屋」という生糸商をやった、天心はその家の息子)の前 で解散した。 水分補給のコーヒー・ブレイクを入れて3時間半、歩いた私も、 書いた私も、読んでくださった方も、くたびれた。