中津城天守閣の謎[昔、書いた福沢187]2019/12/31 06:22

        中津城に天守閣の謎<小人閑居日記 2003.9.8.>

 NHKの大河ドラマ『武蔵』に、最近ときどき「豊前・中津城」の天守閣が 出てくる。 細川忠興が小倉城に、三男忠利が中津城にいたという設定である。  オヤッと、思った。 中津城の天守閣については、等々力短信745号「福沢 のあかるさ」に、次のように書いたことがある。

 「街道をゆく」の「中津・宇佐のみち」で、司馬遼太郎さんは中津へ行き、 福沢の家族や家系のことを考える。 中津奥平氏も、伊予宇和島の伊達氏も十 万石。 中津最後の殿様奥平昌邁(まさゆき)は伊達宗城の三男で養子に来た から、両都は親戚で、規模も、県庁を他市にとられた立地条件も似ているのだ が、中津が、かつてありもしなかった天守閣を、「再建」(と天守閣入場券の解 説文にあるそうだ)したのに、宇和島は市長の城址に武道館を建てる計画が市 民の反対で沙汰やみになったから、このことについては宇和島の勝ちだと司馬 さんは書いている。 この天守閣は、福沢もきらいだろう。(引用おわり)

 中津は天正15(1587)年から慶長5年までの13年間、黒田如水が十 二万五千石で治め、筑前(福岡県)へ転封されたあと、32年間(1600~ 1632)細川忠興の時代になる。 忠興は丹後宮津から来て、豊前豊後二郡 三十九万九千石という大封をもらい、豊後に小倉城を築き、中津城を増改築し た。 忠興ははじめ中津を主城にしようとしたが、上方との交通の便で、小倉 のほうがよいとわかり、小倉に大規模な築城をする。 この小倉城は「海内有 数の名城」といわれ、五層六階の天守閣は、四層目と五層目にヒサシのない「南 蛮造」と呼ばれるものだった。

 黒田、細川のあと、中津は、譜代大名小笠原、そして福沢の仕えた奥平の時 代になる。 黒田、細川の時代、はたして、中津城に天守閣はあったのだろう か。

     黒田、細川時代から天守はなかった<小人閑居日記 2003.9.9.>

 「街道をゆく」の「中津・宇佐のみち」を読み返してみると、「中津が、かつ てありもしなかった天守閣を、昭和39年に「再建」した」と司馬遼太郎さん が指摘したのは、福沢の出た奥平の時代だけでなく、黒田、細川の時代にも天 守閣はなかったと、推論してのことだった。

 黒田如水の中津築城は、そのあたりの小城を攻めつぶしては用材を運んでき た、小気味いいほど節約したもので、威見を見せるための天守などつくらなか ったろうという。 黒田時代に天守があったかは、江戸時代から論議されてい たそうだが、なかった、という説が多いという。 筑前黒田藩の儒者貝原益軒 が、元禄7(1694)年に旅行した『豊国(ほうこく)紀行』に、中津城に ついて「城は、町の北、海辺に在て、天守なし」と書いているそうだ。

 細川忠興は、きのう書いたように、小倉城を主城にして天守閣を築き、結局、 小倉に子の忠利を居らせ、中津は自分の隠居城にした。 司馬さんは「隠居城 にまで天守閣をあげるのは、幕府に憚(はばか)りがあった」「中津城の敷地が せますぎるために、防衛は白壁の塀と多くの櫓(やぐら)だけで十分で、そこ に天守閣まであげると、かえって醜悪になってしまう。/織豊時代きっての造 形感覚のもちぬしだった忠興が、美をすてて醜をえらぶはずもなかった」と、 書いている。

小人閑居日記 2019年12月 INDEX2019/12/31 06:41

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