橋本五郎さん「ジャーナリストとして福沢から学ぶもの」[昔、書いた福沢189]2020/01/12 08:26

     橋本五郎さんの福沢入門<小人閑居日記 2003.10.1.>

 9月27日、福沢諭吉協会の土曜セミナーがあった。 講師は読売新聞編集 委員の橋本五郎さん、演題は「ジャーナリストにとっての福沢諭吉」だった。  橋本五郎さんが昭和41(1966)年慶應の法学部に入学した時、自分は東 大なのに小泉信三さんを通じての福沢ファンだった10歳年上の兄さん(役人) が、『福沢諭吉全集』全21巻を買えと、安月給のなかから5万円余をくれたと いう。 どこで買うかわからず、塾監局(慶應の本部事務局)に行ったら、土 橋俊一さんが手配してくれた。 重い本だというのが第一印象で、提げて帰っ てくる時、4巻ずつ友達に持ってもらった。

 学生時代は軽い文庫本や『福沢諭吉選集』で、『福翁自伝』『学問のすゝめ』 『文明論之概略』を読んだ程度だったが、『福沢諭吉選集』第四巻の丸山真男さ んの解題(1952年7月)に衝撃を受けた。 それは手品のような解説で、 橋本五郎さんは丸山さんから福沢に入ったという。

 駆け出しの新聞記者だった昭和48(1973)年、福沢諭吉協会が発足し たので入会した。 その申し込みのハガキに「田中王堂『福沢諭吉』の復刊と、 丸山真男の福沢論をまとめて一冊にできないか」と書いたら、富田正文さんか らハガキが来た。 橋本さんが当日、会場に持参していたその宝物のハガキに は、「丸山真男の本は検討されているようだが、王堂本の再版は慎重を要する」 とあったそうだ。 橋本さんが衝撃を受けた『選集』第四巻解題を含む丸山真 男さんの福沢論が、岩波文庫『福沢諭吉の哲学』となって広く読まれるように なったのは、2年前の2001年6月のことだった。 この700円の文庫本 が、橋本さんには1万円位に価すると語った。

    「ジャーナリストとして福沢から学ぶもの」<小人閑居日記 2003.10.2.>

 橋本五郎さんは「ジャーナリストとして福沢から学ぶもの」として、つぎの 6項目を挙げた。

  (1)「議論の本位」を定めることの重要さ。

  (2)無原則な機会主義とは全く違う「状況的思考」。

  (3)責任ある言論。     (4)開かれた女性論、家庭論。

  (5)肉親・子女への愛情。

  (6)幻想を抱かず、惑溺に陥らず。

 (1)「議論の本位を定める事」というのは、福沢が『文明論之概略』の最初 にその大切さを説いたもので、それを定めなければ、物事の利害得失を論じら れないとした。 丸山真男さんは「何を何より先に解決しなければならないか、 何が現在の切迫したイッシュであるか、をまず明らかにする」(『「文明論之概略」 を読む』)ことだと説明した。

 (2)今、起きていることを理解するには、できるだけ多面的に見る。 個 人的自由と国民的独立、国民的独立と国際的平等は全く同じ原理で貫かれ、見 事なバランスを保っている。

 (3)「外交を論ずるに当りては外務大臣の心得を以て」(明治30(189 7)年8月の時事新報社説「新聞紙の外交論」) 「責任ある報道」をしようと すれば、自分がその立場にあったらどうするか、何が国益、全体の利益にかな うのかを絶えず自問し、答えられるようにしなければ、無責任のそしりを免れ ない。

       福沢の女性論と家族への愛<小人閑居日記 2003.10.3.>

 昨日の続き。  (4)開かれた女性論、家庭論。 政治記者の橋本さんは、夜討のハイヤー で帰宅すると、午前2時か3時、へたをすると朝駆けの迎えの車がもう来てい るという状態だった。 帰宅した時、和服の夫人が三ツ指ついて、おかえりな さいませというのが理想ではあった。 橋本夫人は総理府勤めで、結婚した時 も、子供が出来た時も、辞めたらどうかといったが、秋田でひとり暮ししてい る橋本さんのお母さんと、電話で話がついていた。 お母さんは「絶対、辞め るな」と言ったという。 ことほど左様に、今日の聴衆もそうだろうが、日本 の男は男女平等ということが理屈でわかっていながら、男女の役割分担といっ た固定観念にとらわれている。 あの時代の福沢の女性論、家庭論が、あれほ どまでに進歩的で、いささかの偏見もないのは、何ゆえか、橋本五郎さんは、 ずっと疑問に思っているという。 

 (5)肉親・子女への愛情。 岡義武さんは日本学士院百年記念講演「福沢 諭吉-その人間的一側面について」で、福沢は「愛情に全く惑溺した一人の父 親以外の何物でもない」とし、「人生をいかに理解すべきか、又ひとはいかに 世に処すべきか、これらの問題について孤絶、寂寥の境地にその身を置くこと をたじろがず、そのことをつねに堅く覚悟していた福沢は、そのような心境に 対する慰めを肉親、子女へのこの上なくふかいその愛に求めていたのではない であろうか」「その情愛は、寂寥、孤独、孤高を恐れず辞しなかった強く逞し い彼の性格の実は他の半面、しかも、不可分の半面であったように私には思わ れるのである」と語っている。

     「とらわれる」こと、そして小泉首相<小人閑居日記 2003.10.4.>

 (6)幻想を抱かず、惑溺に陥らず。 福沢が最も戒めたのは「惑溺(わく でき)」である。 『文明論之概略』の随所に出てくる。 丸山真男さんは「政 治とか学問とか、教育であれ、商売であれ、なんでもかんでも、それ自身が自 己目的化する。そこに全部の精神が凝集して、ほかが見えなくなってしまうと いうこと、それが惑溺です」(『福沢諭吉の哲学』)と説明した。 橋本さんは新 聞記者として、あるがままに見ることを心掛け、とらわれていることはないの か、たえず畏れをいだきながら、やらなければならないと、思っているという。  いつも(81歳で亡くなった)おふくろに分かるように、中学生に分かるよう にと、記事を書いてきた。

 講演は、しばしば小泉首相の話に脱線した。 曰く、自己中心、他人のこと は考えない、ただ一筋に行く、脇は見ない、自分は正しいと思っている、した がって確信に満ちているように見える。 三世で、地元の選挙活動もしていな いから、ひとの痛みがわかっていない。 他人から言われたことは、やりたく ない、しばしば反対のことをやる。 竹中、川口両大臣の留任はそのよい例で、 川口さんは外務省で退任の挨拶もしていた、その証拠にあの日、赤の勝負服で なく、黒と白の葬式用みたいな服を着ていた。 勉強はしない、あまり本を読 まない(『同期の桜』ぐらい)、ものを知らないだけ強い、わかっていることし か言わない。 「構造改革なくして成長なし」というが、構造改革がどう成長 に結びつくのか説明しない、何もわからない。 得意の郵政と道路公団の民営 化の話だけ、ガーッとやる。

 そういった話を聴いて、みんなアハハと笑い、私ももちろん笑ったのだが、 笑いながら、笑っていられる場合じゃないとも思ったのだった。 だから、敢 えて書くことにした。