中川眞弥さんの「福澤諭吉の年少者向け著訳」[昔、書いた福沢200]2020/01/23 07:11

       福澤諭吉の年少者向け著訳<小人閑居日記 2004.1.31.>

 30日は日本橋の丸善に中川眞弥さんの『福澤諭吉の年少者向け著訳』とい う講演を聴きに行った。 慶應義塾図書館は、毎年丸善で「貴重書展示会」を 開いているのだが、今年は『子どもたちの物語-啓蒙・教訓・お伽ばなし-』 というテーマで、毎日関連の講演があり、長く幼稚舎長をなさった中川さんが そのトリを務められた。 中川さんは15ページにわたる綿密な講演資料や、 ターナーの「近代がやって来る」蒸気機関車の絵などを用意されていた。

 福沢諭吉の明治維新前後の年少者向け著訳は、教育は「低くあまねくするの がよい」と考えた福沢が、普通教育を寺子屋の手習い師匠に代行させるための 手習い本という学制開始前の福沢の想定を超え、明治5年の学制開始期には教 科書として全国的に採用され、近代的教科書の先駆けとなり、広い読者に受け 入れられた。 それは『ある明治人の記録』(中公新書)の会津・斗南藩の柴五 郎陸軍大将、徳富蘇峰、鈴木大拙、寺田寅彦らの、年少時の思い出に書かれて いる。

 中川さんが取り上げた福沢の少者向け著訳は、

  1868(明治元)年『訓(きん)蒙 窮理図解』

  1869(明治2)年『頭書(かしらがき)大全 世界國盡』

  1871(明治4)年『啓蒙手習之文』

  1872(明治5)年『童蒙をしへ草』

  1873(明治6)年『日本地図草紙』『文字之教』

 ところが明治10年頃から、政府は天皇中心の国家体制をとり、教育も儒教 主義への復古を唱えて右傾化し、福沢の著訳書は文部省の検定不合格とされる にいたる。  たとえば『世界國盡』附録「人間の地学」には「政府の体裁」について、三 つの政体の記述がある。 第一を「もなるき」立君。 第二を貴族合議。 第 三を共和政治、或は合衆政治という。 国中の人民申合にて政事を捌くものな り。 こんな記述が、教科書からはずれた原因ではないか、と中川さんは言う。

         教えながら学ぶ<小人閑居日記 2004.2.3.>

 きょう2月3日は福沢諭吉の命日。  それで1月31日に書いた中川眞弥 さんの講演『福澤諭吉の年少者向け著訳』から、各論にあたる部分で大切と思 うことを書いておきたい。 

 1868(明治元)年『訓(きん)蒙 窮理図解』…易しい漢字ひらがな交 り文に、人々が日常の生活でやっていることの図(北斎漫画のような…馬場注) をつけ、内容も「膨脹」を猿蟹合戦で火鉢の栗が破裂して猿の顔にかかる例で 説明したり、世間の炊婢(げじょ、と振り仮名)、何ほど奉公をよく勤るとも、 鍋釜の尻を白金の如くに磨くべからず、主人のためには却て薪の不倹約なり、 などと分かりやすい。

 1872(明治5)年『童蒙をしへ草』…洋学が実学一辺倒なので、修身(徳 育)書をさがし、英国のCambers 社の“The Moral Class-book”を翻訳して、 子ども向き読み物として刊行したもの。 洋学者(生)が英米の歴史書の類な どを読み、自主自由の趣旨を誤認して、放肆無頼(ほうしぶらい)の口実に使 うようなことがあると、世の中に害を及ぼすので、まず英米文明の基礎にある 徳論を学ぶことをすすめた。(福沢は分限、調和を考える人で、後年「自由在不 自由之中」という関防印を使った) 紹介されている寓話は、イソップの明治 期(慶長期はあった)最初の紹介。 キリシテタン禁制下のため、宗教の章の 翻訳を省略しているが、徳論の背景には当然キリスト教や聖書がある。

 この翻訳は、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』などにあらわれる福沢の考 えに、大きな影響を与えた。

 1873(明治6)年『文字之教』…昨年6月20日、高校新聞部の会で中 川さんの「『文字之教』を読む-徳富蘇峰の指摘-」という話を聴いて、25、 26日の日記に書いた。 徳富蘇峰が福沢の文章の特色としてあげ、福沢天性・ 独特のものとした「嘲笑的な特色と相伴ふて離れざるものは、懐疑的香味是な り」の「懐疑的」というのは、今回それが「何事も本当かと疑問を呈する精神」 と聴き、昨年そこまで聴けていなかったことに気がついた。

          「有職故実」<小人閑居日記 2004.2.11.>

 漫画を読まないから、黒鉄ヒロシさんが幕末の専門家だと知らなかったけれ ど、テレビによく出るから、黒鉄は「くろがね」と読むことは知っていた。 脱 線するが、佐藤春夫が『田園の憂鬱』に書いた田園は、「鉄」一字で「くろがね」 と読む所で、現在は横浜市青葉区内、地図を見たら桐蔭学園があった。

 で、黒鉄ヒロシさんが『銀座百点』の2月号に、漢字の読み違いなどは他人 から指摘されたり、ルビを振ったものに出喰わさない限り、一生そのままにな るケースもあるといって、先日の打ち合わせの席でもTV局の若いディレクタ ー氏が、「骨子」を「ホネコ」、「有職故実」を「ゆうしょくこじつ」とやってく れて身悶えさせてくれた、と書いている。

 このTV局、NHKだろう、と私は思った。 1月11日の「新日曜美術館」 「冷泉為恭(ためちか) 幕末の大和絵師」に、黒鉄ヒロシさんが出演してい て、私は初めて黒鉄さんが幕末にくわしいことを知ったのだった。 知らなか ったが冷泉為恭という人は、本名を狩野永恭(えいきょう)、京都狩野派の絵師 の息子で、王朝の「有職故実」を情熱的に独学し、一大権威となり、古典大和 絵の復興をはかり、冷泉を名乗った。 ついには大金をはたいて、公家岡田家 の養子となり、貴族の仲間入りも果す。 幕末の政争に巻き込まれ、王朝文化 派なのに誤解を受けて、尊王攘夷の長州の志士に暗殺されてしまう。

 漢字の読み違い、私もいっぱいやっているのだろう。 実は「有職故実」だ って、『銀座百点』を読んで、辞書で確認した。 子供の頃、ずっと「手記」は 「てき」だと思っていた。 福沢諭吉の『訓蒙 窮理図解』を「くんもう」と 読んでいて、先日、中川眞弥さんの話を聴いて「きんもう」なのだと、気がつ いたのだった。

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