書の作品が読めない[昔、書いた福沢202]2020/01/25 06:52

        書の作品が読めない<小人閑居日記 2004.3.6.>

 東京国立博物館の「日本の美 日本の心」帰国展で、身にしみて感じたのは、 書の作品が読めないことだ。 漢字ばかりを楷書で書いたものは、意味までは 完全に理解はできないけれど、まあ何とかなる。 しかし、かな交じりの書に なると、満足に読めない。 展覧会を企画した人は、ドイツ、ボンの展示で、 書の作品がヨーロッパの人達にどう受け止められるか心配していたそうだが、 読めないゆえに意味にとらわれず、文字の形や筆の勢いから日本の美を感じと っていたようだと、パンフレットにある。

 こちらは、そんなことは言っていられない。 近衛信尹書の「和歌屏風」な ど、百人一首などで名高い和歌すら読めないのは、和歌についての基礎教養の なさも加えて、恥ずかしいことだ。 日本語なのだから、コツさえつかめば、 読めないこともあるまいという気もする。 少し勉強しなければと、反省した。

         実は漢字漢文にも弱い<小人閑居日記 2004.3.7.>

 きのう「漢字ばかりを楷書で書いたものは、まあ何とかなる」と書いたけれ ど、実はどういう加減か、漢文というのを習ったことがない。 早速、きのう の朝日新聞の社説の見出しに「「以人為本」は成るか」というのがあって、これ なんて読むの、となった。 中国の温家宝首相が全人代の政府活動報告で、「以 人為本をさらに重視する」という点に最も力を込めたという。 社説はこれを 説明して「人民がすべての基礎であるべきだという考え方だ」、「市場経済化は 推し進めるが、かといって貧富の格差が拡大したり、貧しい人々の権利が脅か されている状態を放置はしない」のだろう、という。 今回の全人代では5年 ぶりに憲法が改正され、「国民の合法的な私有財産は侵害されない」などの条文 が新たに盛り込まれたそうだ。

 とすると、「以人為本」は「人を以て本と為す」ということだろうか、「いじ んいほん」とでも読むのか。 この見出しにも、振仮名をつけてもらえるとよ かった。 このように、私は漢字で書いたものにも、弱いのであった。

お正月の「俳句日記」<等々力短信 第1127号 2020(令和2).1.25.>2020/01/25 06:54

 2年前、2018年2月の短信に、<時ものを解決するや春を待つ 虚子>と題 し、私の俳句の先生、俳句誌『夏潮』主宰の本井英さんが「咽頭癌」を告知、 入院加療を始められたことを記した。 抗癌剤治療が成果を上げ、慶應病院は 当初の手術の方針を放射線治療に転換、三か月余の加療を経て、3月末に退院 なさった。 「主宰近詠」3月号<去年今年身に病変を抱きながら>、4月号 <病室の鏡にぞ雪降りしきる>、5月号<点滴の外れて朝寝うまかつし>、6 月号<根治とは信ずることば花の下>、7月号<癒えてゆく暮らし日焼けも少 しせし>。 6月からは『夏潮』の俳句会に復帰、放射線治療の副作用で唾液 が出なくなったり、口内炎で、句会でお話をなさるのに、持ち前の「立て板に 水」とはいかなかったけれど、熱心に主宰選評をし続けて下さっていた。

 しかし、令和になった2019年5月、前年の治療の合併症で気道と食道が狭 窄し、呼吸と食事に困難が出て再入院、対応の治療のため、句会は10月まで 「後選(あとせん)」をして頂いた。 9月号<梅雨晴や病めば病を主(あるじ) とし>、8月末から9月初めの「夏潮志賀高原稽古会」に出られ、11月号<生 きてゐるだけで御の字この花野>、11月からは夜開催の「渋谷句会」にも、元 気なお姿で出席して頂けるようになった。 12月10日、晩期合併症が順調に 治癒に向っていると、慶應病院の診断が出る。

 元気になられた証拠を、明らかに示すニュースが二つある。 10月には大磯 町からの委嘱で、元禄の大淀三千風から数えて二十三代目の「大磯鴫立庵」の 庵主に就任された。 今年2020年1月1日からは、俳句関係の出版社ふらん す堂のホームページに、「本井英の俳句日記」を毎日連載されている (http://furansudo.com「連載」の一番上)。

元日<陸を祝ぎ海を祝ぐなり初御空>。 2日<寝そびれてをりて食積せせ るかな>季題「食積(くひつみ)」は、おせち料理の重詰。 3日<初夢の中や 絶対絶命に>。 4日<吟味するごと裏返す賀状かな>。 9日<マフラーを 鼻まで巻いて夜の町を>、「咽頭癌」発病以来、酒をふっつりやめたが、もとも と酒に弱い体質だったのに無理して呑んだのがいけなかったらしい、それも濃 い酒が好きだった、50年くらい前、新橋の「ウォッカ屋」とか謂うバーに通っ た。 11日<噴泉にまぬがれがたく雪降り込み>、癌で早世された司会者の土 居まさるさんは番町句会の常連だったが、秋田県の玉川温泉に逗留して<動く もの枝を離るる雪ばかり がんこ(土居さんの俳号)>の句がある。 真っ白 な静寂の景色の中、土居さんは枝から落ちる雪塊に「この世」を離れていくご 自身を見てしまったに違いないという。 本井英さんは二度、玉川温泉を訪れ た。 一回は土居さんを偲ぶため、もう一回は、ご自身の同じ病を癒すために。