文字使用の歴史[昔、書いた福沢203]2020/01/26 08:04

          文字使用の歴史<小人閑居日記 2004.3.8.>

 先日亡くなった網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』は、「文字につい て」という章で始まる。 そこには、いくつかの興味深い指摘がある。

 ○中国大陸、朝鮮半島から漢字が入ってくる。 それを万葉仮名として用い るという形で、日本の文字がだんだんにできてくる。 文字の使用、普及に、 律令国家の成立したことが深いかかわりがある。 律令国家が文書主義を採用 したことが、決定的な意味を持つ。 すべての行政を、文書で行うことにした わけで、役人も役人とかかわる人々も文字を勉強せざるを得ず、この国家の支 配下に入った全域に、文字を使える人が広く出て来た。 それ以後、王朝国家 も、鎌倉幕府、室町幕府も、一貫して文書主義を踏襲し、江戸幕府はもっとも 徹底した文書主義をとった。 公的な文書は漢字で書くということが確定して いる。

 ○日本の社会では、口頭の世界(話し言葉)、民俗社会は非常に多様だけれど、 文書の世界、文字社会は非常に均質度が高い。 それは、上からかぶさってく る国家の(文書主義の)力があり、それに対応しようとする下の姿勢があるた め。

 ○平仮名はまず女性の文字として用いられ、それを男性が(私的な書状など に)取り込むような形で普及した。

 ○村や町の成立と、文字の普及、その実用化とは深いかかわりがある。

 ○ほぼ鎌倉時代の後期から室町時代にかけて、侍クラスの下層まで平仮名ま じりの文書は書けるようになっており、室町時代の村の大名、主だった百姓は、 だいたい文字が書けたと考えてよい。 女性も、侍クラスの人の妻や娘は、平 仮名の書状を書いている。

 ○鎌倉時代までの人々は、文字に対してある畏敬の感情をもっていたと思わ れ、見ていて非常に気持よい美しい字を書き、「みやびた」(笠松宏至さん)と ころがあるのに、室町時代になると、文書の数は多くなる(実用的なものにな ってくる)が、文字に品がなくなり、大変読みづらくなる。

 ○江戸時代後期の識字率は高く、平均して40%ぐらいまであった。

      紫式部、清少納言が出てきたわけ<小人閑居日記 2004.3.9.>

 網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』の「女性をめぐって」の章も興 味深い。 ルイス・フロイスが『日欧文化比較』(または『日本覚書』)に記録 した信じ難い日本女性の姿が、いろいろの証拠から裏付けられることを明らか にしていく。 ここでは、文字の問題に関連して、女流文学輩出の背景の話だ けを取り上げる。

 ○律令制を導入する前の日本の社会は、まだ未開の要素を残していたけれど、 女性の社会的地位が決して低くない社会だった。 天皇や神に直属する女性職 能民の集団があり、女性の商人も非常に多かった。 そこへ早くから家父長制 的な社会だった中国の律令制を受け入れた。 法制的には、日本の律令国家も 男性優位、父系、家父長制を採用した。 しかし、それは日本の当時の社会の 実態と大きく異なっており、建前と実態の摩擦をおこした。

 ○表の漢字の世界、公的な場は男性なのだが、平仮名の世界、私的な裏の世 界での女性の活動も決して小さいものではなかった。 実際、文字が女性に浸 透したということ、それだけではなく後宮の女房による独自な女流文学が生ま れたことは、女性が自分の目をしっかり持っていたことを示している。 その 背景には、父系制が確立していない双系的な社会に、非常に強固な父系の建前 を持った制度が接合したという事態があった。

 ○女性の社会的地位が決して低くない社会に、家父長制的な制度が接合した ことによって生じた、ある意味では希有な条件が、女流文学の輩出という、お そらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になったのではないか。