「俳人たちの『みやこ』--与謝蕪村」[昔、書いた福沢204]2020/01/27 07:00

       「京の隅」「篭り居の詩人」<小人閑居日記 2004.3.11.>

 芳賀徹さんのNHK人間講座「みやこの円熟」も、きのうが第6回「俳人た ちの『みやこ』--与謝蕪村」だった。 芳賀さんには『與謝蕪村の小さな世 界』(中公文庫)という著書もある。 じつは先日、書の作品が読めないと書い た時に、ひっぱり出して、図版の「十宜図」の漢詩など、試しに読んでみてい た。

 芳賀さんは「よさのぶそん」と「の」を入れて、話した。 蕪村が五十代に なって京都に落ち着き、芳賀さんのいわゆる「篭り居の詩人」となったのは、 18世紀後半のほぼ田沼時代、「徳川の平和(“パクス・トクガワーナ”という のだそうだ)」がすでに約百五十年つづいて、平和の過飽和感とそれゆえの一種 の不安と倦怠を人々の心にもたらし始めた時代だった。 蕪村は、この頽唐の 気配、ものがしどけなく崩れかけたさまをこそよしとし、そこに負の美の領分 を発見していた。 「京の隅」に篭り居をしては、平和に熟れた古都の風情、 まさに同時代の「みやこの円熟」を、その都にふさわしい言葉で鋭くとらえつ くした、と芳賀さんはいう。 そして、いま「グローバリゼーション」の声や かましい時代にあって、かえっていっそうこの夜半亭詩人の「京の隅」の幸福 に心ひかれる、という。

   しら梅や北野の茶屋にすまひ取(とり)  (安永7年)

   花の香や嵯峨のともし火消(きゆ)る時 (安永6年)

   春水(しゅんすい)や四条五条の橋の下 (天明元年)

   遅き日や谺(こだま)聞ゆる京の隅 (天明3年)

   ほとゝぎす平安城を筋違(すじかひ)に (明和8年)

   若竹や夕日の嵯峨と成(なり)にけり (安永2年)

   名月や神泉苑の魚(うを)躍る (年次不詳)

   御火焚(おほたき)や霜うつくしき京の町 (明和6年)

   うぐひすの啼(なく)や師走の羅生門 (安永8年)