福沢索引2005年7・8月のブログ[昔、書いた福沢219]2020/02/19 07:02

日吉のカマボコ校舎<小人閑居日記 2005.7.1.>
 終戦早々にアメリカ軍に接収された日吉キャンパス、返還まで4年かかる。
1961(昭和36)年、大学2年生、カマボコ校舎で英語の授業を受けた。

朝顔市と三田演説館の講演会<小人閑居日記 2005.7.7.>
 井上琢智(たくよし)関西学院大学経済学部教授の「明六社・日本学士院と
共存同衆・交詢社―福沢諭吉・小幡篤次郎・馬場辰猪―」。
馬場辰猪と「共存同衆」「交詢社」<小人閑居日記 2005.7.8.>
 馬場辰猪は、「共存同衆」や「交詢社」などの「結社」を近代社会形成の一ス
テップ(手がかり)として位置づけ、日本近代社会形成の核にしようとした。 
ミクロな「結社」の構成・運営原理を、マクロな国家という大きな「社会」に
拡大し適用しようと考えていたという。
福沢・小幡・馬場、それぞれの社会構想<小人閑居日記 2005.7.9.>
 福沢は性急な自由民権運動と一線を画していた。 小幡篤次郎は福沢を受動
的に補佐していただけでなく、独自の社会構想を持っていた(2005.5.17.「健
全にして且楽しき新家庭」)。 馬場辰猪は、集団行動への絶望から「結社」を
通じての「近代社会」の形成を断念し、「個人」行動の重要性を認識し、「個人」
行動へと走り出す。

田口卯吉の経済政策思想<小人閑居日記 2005.7.18.>
 福澤研究センターのセミナー、中村宗悦(むねよし)大東文化大学経済学部
教授の「福澤諭吉の経済政策思想―田口卯吉との比較を通じて―」。 金本位制
に移行すべきかどうかを検討した貨幣制度調査会(1893-1895、明治26-28)、
田口の逆転賛成で金本位制を先送り。
西川俊作先生のコメント<小人閑居日記 2005.7.19.>
 田口卯吉は原理主義者(自由主義経済学者)だが、福沢は原理に忠実ではな
い。 状況に応じて、柔軟に意見が変えられる。 西川俊作先生は今、「無署名
論説認定」問題に関連して、日清戦争が始まった明治27(1894)年の『時事
新報』を全部、読んでいる。

『信州福沢考』の茅野市豊平<小人閑居日記 2005.8.8.>
 麻布善福寺境内、福沢のお墓に「福沢氏記念之碑」、福沢の文章で「福沢氏の
先祖は信州福沢(地名)の人なり」とある。 富田正文先生の『信州福沢考』
(私家版)によると、信州に福沢という地名は11か所ほどあり、その一つが、
以前は諏訪郡豊平村福沢、現在の茅野市豊平で特筆されるけれど、決め付ける
のは無理。 信州から中津へ、どう行ったか、富田正文先生の推測。
丸山信著『信州と福沢諭吉』<小人閑居日記 2005.8.13.>
 『信州と福沢諭吉』(2005.4.18.東京図書出版会発行)、あまり感心しなかっ
た。 話が一貫せず、突然あちこちに飛ぶ。 どうも論理がつながらない。 根
拠がはっきりしないところがある。