福沢索引2005年11月のブログ[昔、書いた福沢222]2020/02/22 07:06

福沢の「女性論」、女性の一身独立<小人閑居日記 2005.11.9.>
 福澤諭吉協会の2005年度読書会、西澤直子慶應義塾福澤研究センター助教
授の「福澤諭吉の「女性論」「家族論」」。 福沢の女性論・家族論を、三つの時
期に分ける。 【1】西洋事情外編・中津留別之書から、明治10年頃まで:「一
身の独立」。 明治維新後の福沢の最大の関心は、「民」(新しい形の日本人)の
創出。 一身独立して一家独立、一家独立して一国独立、天下独立という主張
だ。 一身独立した「民」は、精神的に自立し、経済的にも自立していなけれ
ばならない。 「男も人なり女も人なり」(『学問のすゝめ』第8編)、「民」に
は女性も含まれる。 明治3年の『中津留別之書』には、福沢の女性論・家族
論の本質が凝縮されている。 社会を構成する核は一夫一婦である夫婦であり、
女性も「一身独立」し、男性と対等な立場で「一家独立」を確立すべき存在だ
というのだ。 そして男が持っている自由や権利は、女性も持っている、とす
る。

新しい「家」の確立<小人閑居日記 2005.11.10.>
 【2】明治18,9年から20年代前半まで:「新しい「家」の確立=体系的女性
論」。 福沢が明治18年『日本婦人論』『日本婦人論後編』『品行論』、明治19
年『男女交際論』『男女交際余論』、明治21年『日本男子論』をあいついで書
いたのは、封建的な「家」の解体がなかなか進まないことに加え、「士族風」の
封建的な家族の制度や風俗が一般(平民)にも広がることへの懸念があった。 
この時期の一連の著作で福沢が説いたのは、社会を構成する単位としての新し
い「家」の確立と、女性であっても社会的役割を果たすことだった。 女性の
社会的役割については、「男女共有寄合の国」「日本国民惣体持の国」「国の本は
家に在り」と書く。

「女大学」的なものを攻撃する<小人閑居日記 2005.11.11.>
 【3】明治31年から亡くなるまで:「新女大学主義」。 福沢は明治31年8
月から9月にかけて、集中的に「女大学評論」「新女大学」を執筆した。 明
治31年7月に明治民法が全面施行された。 福沢は、この民法が女性たちを
見えない旧規範から解き放つ点を評価し、法律が旧来の習慣を変えていくこと
を援けるとみて、民法擁護の著作活動を展開した。 「女大学」的な修身道徳
が、女性を縛る規範としてなお活きていて、それを復活助長する動きもあり、
福沢は一夫一婦制、男女同等といった新しいモラル確立を妨げるものとして「女
大学」を槍玉に挙げて論じたのだった。 福沢はまた、男性の意識改革がなけ
れば状況は変わらないということを強調し、他人の目を気にして育児に協力し
ない父親を「勇気なき痴漢(ばかもの)」と書いている(「新女大学」)。

福沢の女性論・家族論は「最後の決戦」に勝ったか<小人閑居日記 2005.11.12.>
 明治33年4月15日付の『時事新報』社説「最後の決戦」(日原昌造草稿)。 
当時の社会状況を分析して、維新以後の文明化によって「有形の区域」すなわ
ち物質文明においては「文明流」が勝利をおさめたが、「無形のもの」となるに
したがって抵抗力が強く「文明の進歩を渋滞せしむるの憂」があると述べて、
「新旧最後の決戦とも云ふ可きものありて存するは即ち道徳修身の問題なり」
「儒教主義の旧道徳を根柢より顛覆して文明主義の新道徳を注入せん」とした。 
福沢はこの「文明流」対「儒教主義の旧道徳」を、女性論では「新女大学主義」
対「女大学風の教育」として展開した。 それは福沢の近代化構想の一端であ
り、「女大学」(「女大学」的規範)は福沢が構想する日本の近代化とは相容れな
い存在として強く認識されていた。 明治10年代半ば以降「儒教主義の旧道
徳」が示した「女大学」風の“新しい”女性像では、日常的な家庭生活自体(夫
への内助・子育てなど)が国を担う女性の役割として位置づけられ、女性と国
家とのかかわりが明らかになった。 それは日清、日露の戦争を経て、特に顕
著になり、国民総動員体制へと向ったのだった。 福沢の女性論・家族論は、
「最後の決戦」に敗れたのだ。

書簡にみる福沢の家族観・男女観<小人閑居日記 2005.11.13.>
 西澤直子さんは、福沢の女性論が社会的規範となり得なかったのには、その
家族観・男女観にも問題があったのかもしれないと、考え直すために書簡にあ
たる。 A 書簡にみる家族のあり方。 B 福沢における男らしさと女らしさ。 
C 書簡に見る結婚観。 福沢の中で「一身独立」と相互扶助的「家」は矛盾し
ないとする。 福沢の女性論・家族論と守旧的な女性論・家族論との相違は、
「女大学」的生き方(自己犠牲精神)の受容に大きな差異があり、ゆえに福沢
の理論は今日的であり続けるのではないか。

「家産」と“家”の継承問題<小人閑居日記 2005.11.14.>
 福沢の女性論・家族論に内在する問題点、「家産に関する矛盾」「“家”として
の継承問題」。 福沢の近代化構想において「一身独立」は経済的な自立と切り
離すことは出来ない。 その一方で、資本主義への移行期における「家産」の
重要性を認識し、散逸による弱体化を防ごうとした。 個人として所有される
べき財産が、“家”(「家産」)として所有されなければならないという矛盾があ
る。 「家産」の維持において相続は重要な要件であり、分割相続を行ってい
けば資産は細分化して“家”は再生産されないし、単独相続では求めるべき家
族形態と矛盾する。 福沢は、その両方の問題に、解決策を示していない。 福
沢は、女性の参政権などいろいろの問題でしばしば最終的な理想、進化して(進
歩して)最終はここだが、今の段階ではここまで、という相対的で現実的な議
論をしている。

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