福沢索引2006年5月のブログ・武器が時代を動かす[昔、書いた福沢231]2020/03/10 07:01

鉄砲が時代を動かす<小人閑居日記 2006.5.3.>
 浅田次郎さんの『五郎治殿御始末』(中公文庫)の解説(磯田道史茨城大学助
教授・日本近世史)など。 この島国にヨーロッパから伝来した「火縄銃」が、
群雄割拠の、在地領主の時代を終らせた。 武士たちは、天下統一が進むと、
「在地」から切り離され、兵農分離で、城下町に集住させられ、「国替え」の一
言で、どこへでも赴任させられるようになった。 この武士の世を終らせたの
は、またしても鉄砲、ライフル銃と榴弾砲の登場によって、刀や槍・騎馬武者
は何の役にも立たなくなった。 当然のことながら、飛行機や、ミサイルの登
場が、戦争を大きく変化させたことを、思わずにいられなかった。

アームストロング砲とライフル銃<小人閑居日記 2006.5.4.>
 以前、「新旧武器の威力の差<小人閑居日記 2003.4.28.>」というのを書い
ていた。 
薩英戦争と下関戦争、この二つの戦争による実地体験で、薩長両藩は、新旧
武器の威力の差を知った。  陸戦も経験した長州は、西洋の陣法の優秀なこ
とも知った。 この教訓に学んだ薩長両藩は、ただちに近代装備の購入に努め、
たまたま南北戦争が終わって余剰の出ていた武器を大量に輸入することができ
た。 それが戊辰戦争で、数の上では圧倒的に優勢な幕府軍に大勝できた要因
になったのである。

イギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたこと<小人閑居日記 2006.5.6.>
 薩英戦争の時、鹿児島の市街地を焼いたのは「ロケット弾」と、皆村武一さ
んの『『ザ・タイムズ』にみる幕末維新』(中公新書)にあった。 1864年2
月10日付『ザ・タイムズ』から、この「鹿児島の火災」問題がイギリス下院
議会で論議された経過がくわしく書かれている。 ブックストン議員の動議に
もとづいて、政府は鹿児島の町を焼いたことに対して遺憾の意を表明すること、
イギリスが鹿児島で行なった攻撃(戦争)は文明国間で戦争に際して通常守ら
なければならない義務と政策に違反するものであること、攻撃を指揮したクー
パー提督に個人的に責任があることが、採択されたという。
(参照 : 福沢索引2006年3月のブログ・松沢弘陽さんの「福沢諭吉と
mid-Victorian Radicalism」[昔、書いた福沢229]<小人閑居日記 2020.2.29.
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