福沢索引2006年5月のブログ・「明治美人帖」ゲイシャとセレブ[昔、書いた福沢234]2020/03/13 06:59

日本最初の美人コンテスト<小人閑居日記 2006.5.29.>
 日本で最初の美人コンテストは、明治24(1891)年に、W・K・バルトンの
設計した浅草十二階・凌雲閣で行われた。 凌雲閣には日本最初の電動エレベ
ーターも取り付けられたが、故障がちで、見物人に螺旋階段を登らせる企画と
して、写真による美人投票を考えたらしい。 写真を撮ったのが、バルトンと
関係の深かった小川一真だった。 横田順彌さんの『明治不可思議堂』(ちくま
文庫)には「東京府中の美人芸者百人の写真を展示」とある。

幕末・明治、芸者の隆盛<小人閑居日記 2006.5.30.>
 なぜ美人コンテストに「芸者」なのか。 “知るを楽しむ”「明治美人帖」「ゲ
イシャ・不思議の国の美女」の佐伯順子同志社大学教授の話。 芸者は人気商
売、顔を売る営業戦略に「写真」を使う。 写真の発達=芸者の隆盛。 幕末
の激動とともに芸者の隆盛が始まる。 京都に集った勤皇の志士たちは、藩や
身分を超えて毎晩のように会合を重ね、芸妓(関東で芸者、関西で芸妓(げい
こ))が間を取り持った。 明治になって、芸者は全盛時代を迎える。 東京は
前からの深川、向島に加え、官庁街に近い新橋と柳橋が発達した 。佐伯順子
さんは、芸者が日本の近代化に貢献した重要な存在だった、と語った。

伊藤博文首相官邸の仮装舞踏会<小人閑居日記 2006.5.31.>
 仮装舞踏会を英語でfancy ball、岩波文庫の慶應義塾編『福沢諭吉の手紙』
の表紙カバーにある伊藤博文宛の手紙にある。 明治14年の政変から6年、
伊藤博文首相が首相官邸で催した「フハンシボール」・仮装舞踏会への招待を、
福沢が「家事」を理由に断っているのが面白い。
 
鹿鳴館「セレブ誕生」<小人閑居日記 2006.6.1.>
 “知るを楽しむ”「明治美人帖」で、芸者の次は「セレブ誕生」、鹿鳴館の話
だった。 鹿鳴館が出来たのは明治16(1883)年、西洋人の日本人蔑視をあ
らためさせ、日本が欧米に引けをとらない国であることを示そうとした、とい
う。 政府高官や華族の夫人や令嬢が、無理矢理洋装して靴を履きダンスをす
るのだから、大変だった。 佐伯順子さんは、新しい日本のセレブが、この時
期に誕生し、近代社会の日本の新しい女性像が提示されたことが、重要ではな
いか、という。