福沢索引2006年7月のブログ・福沢家は年収200万円、火の車[昔、書いた福沢240]2020/03/19 06:57

福沢家は年収200万円、火の車<小人閑居日記 2006.7.20.>
浅田次郎さんの『五郎治殿御始末』(中公文庫)の解説で名前を憶えた磯田道
史茨城大学助教授(日本近世史)、売れっ子になったようで、NHKの“知るを
楽しむ”『歴史に好奇心。』では、7月「拝見・武士の家計簿」を放送中。
幕末維新に活躍した人たちの家禄を、現在の年収に換算していたのが、とて
も面白かった。
桂小五郎 長州藩 右筆(家老秘書官) 知行百五十石 年収1,300万円
西郷隆盛 薩摩藩 御小姓与(藩主警備役出仕) 籾(もみ)四十七石 年収630万円
大隈重信 肥前藩 石火矢頭(砲術担当) 知行三百石 年収2,600万円
福沢諭吉 中津藩 供小姓(小姓組) 籾十三石二人扶持 年収200万円、家計は火の車。(「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」の所以)

加賀藩御算用者(会計係)の猪山(いのやま)信之という人物の家計は、知
行七十石、拝領銀三十四匁、息子の直行も同様に勤めていて、切米四十俵その
他。 知行というのは領地(土地)を賜っていて、四公六民の勘定で七十石は
手取り22.5石(?)ぐらい。 切米というのは玄米で、四十俵は16石にあた
る。 二人あわせて、小判に換算して41両、およそ年収1,230万円になると
いう。(大工がひと月まるまる働くと小判一枚=30万円だったそうだ) しか
し藩主が将軍家の姫君を貰った際、その会計係を務めたため、江戸に単身赴任
し、家計が金沢と江戸の二重生活になったり、知行取りは出世のわりに実質収
入が低いのに、体面から経費はかかるなどで、借金だらけの暮しだったという。 
2,500万円、金利年20%にあたる借金に苦しみ、大整理を断行している。