福沢索引2006年8月のブログ・『清富の思想』、遊びのすすめ[昔、書いた福沢242]2020/03/21 07:06

『清富の思想』、遊びのすすめ<小人閑居日記 2006.8.24.>
 18日、三田で小泉信三記念講座の講演会、講師は塩澤修平経済学部長の『清
富の思想』。 その「清貧」でなく、「濁富」でなく、ましてや「濁貧」でない
ところに、これからの日本の経済社会のあり方を求めようとするものだ。
「清・濁」は環境面への負荷、「貧・富」は経済的繁栄の指標。 ライフスタイ
ルとしての「清貧」の思想は、富める社会の中で、少数の人々が実践するなら
ばよいが、皆がそうしたライフスタイルをもったら、大量失業が発生し、最低
限の生活もできなくなってしまう。 現在の日本では持続不可能だ、という。
 それでは「清富」とは、どういう考え方か。 物的には「もったいない」に
基づき、出来るだけ無駄を省いて節約する。 だが「遊び」には大いにカネを
つかい、有効需要を高め、失業を減らす。 文化・芸術を含む「遊び」に関す
る経済活動は、物的資源はあまり使わず、付加価値が高いからだ。 各世代が
「遊ぶ」ことにより、経済は活性化し、環境にもやさしい。 そのキーワード
が「遊び心」で、「遊び心」にもとづき積極的に人生を楽しむことが、同時に世
のため人のためになるという。

「遊び心」で世のため人のため<小人閑居日記 2006.8.25.>
 塩澤修平教授の『清富の思想』を、もう少し。 武士道で利を悪徳だとする
のは、第一次産業の作り出す社会の富が一定だというゼロサム社会だからだ。 
だが福沢先生や初期慶應の先輩たちは、ゼロサム社会とは見ていなかった。 ア
ジアの各国がつぎつぎに欧米列強の植民地にされていた時代に、日本の独立を
いかに保つか。 ゼロサム社会では切り抜けられないと考えて、殖産興業の道
を選択し、それを支えたのが慶應の大先輩たちである。
ゼロサムでない状況では、取引をしてお互いに得をする場合もあり得る。 そ
こに新たな価値(富)が創造されるからだ。 利潤を上げても悪ではなく、み
んなが得をする状況もあり得るのだ。 少子高齢化を迎えた日本経済活性化の
鍵になるのが「遊び心」である。 文化・芸術を含めた、広い意味での「遊び
心」に基づく消費活動は、作り出される付加価値の大きさに比べて、そのため
に使われる天然資源の量はきわめて少ない。 日本が国際的に競争力を持つも
のとして、工業製品(自動車、電器など)は基本だが、伝統的な「遊び心」と
最新の技術が融合した分野としてのアニメ、発想の勝利であるゲームソフトな
どが、世界に誇るひとつの文化を創りあげている。
「遊び心」は、生き方においても旺盛な好奇心と柔軟な発想、そして余裕に
通じる。 慶應は伝統的に、浮世絵蒐集の高橋誠一郎、芸術写真の千種義人
(2005.11.21.の日記参照)、蝶の蒐集の福岡正夫といった方々、学問の世界だ
けでなく趣味の世界でも超一流の、人間的に幅の広い大先達を輩出している。 
「遊び」に強い人が沢山いる塾員の人脈、ネットワークを活かさない手はない。 
その道のプロ・達人が多く、相互に補完的な関係を築くことができ、「遊び心」
を実践できるのだ。 そんな嬉しくなるような話を、塩澤修平教授はした。