福沢索引2006年10月のブログ・竹田行之さんの『小泉信三と岩波茂雄、小林勇』[昔、書いた福沢243]2020/03/22 07:28

福澤諭吉協会の土曜セミナー<小人閑居日記 2006.10.7.>
 9月30日、福澤諭吉協会の第99回の土曜セミナー、次は第100回。 33
年間のほとんどを聴いてきた。 講師は、伊藤正雄、池田弥三郎、ヨゼフ・ピ
タウ、と続き、吉野俊彦、緒方富雄、高橋誠一郎、飯沢匡、富田正文、武見太
郎、丸山真男、永井道雄、江藤淳、横松宗の名前もある。 私の福沢知識は、
土曜セミナーの耳学問によるところが多い。
 今回は、元福澤諭吉協会理事、元岩波書店編集部長の竹田行之さんの『小泉
信三と岩波茂雄、小林勇』。 今年は小泉信三の没後40年で、岩波茂雄の没後
60年、小林勇の没後25年の年にも当る。 竹田さんは、昭和の初めから第2
次世界大戦を経て戦後に続く数々の福沢著作の編纂と刊行が、小泉信三と岩波
茂雄、小林勇、三人の友情を絆とした、揺るがぬ信頼関係に支えられて、行な
われたことを語った。 小泉が岩波、小林に宛てた書簡は110通にのぼるそう
だが、『小泉信三全集』にはその三分の一しか収録されていない。 その未発表
書簡をよりどころに、福沢著作出版にまつわる美しい人と人の交流の物語を、
聴くことができたのであった。

小泉信三と小林勇<小人閑居日記 2006.10.9.>
 小林勇は小泉信三の『社会問題研究』が出た1920(大正9)年に、17歳で
岩波書店の住み込み店員となり、ただ一人の編集員として、著者達の間を駆け
めぐる。 1927(昭和2)年、岩波文庫の創刊に携わるが、翌年、岩波書店の
ストライキで、店員側の排斥の対象になり退社する。 その時「小林勇君の如
き、その勤勉にして信義に厚き、平生小生の最も敬重する所なるに」という小
泉信三の岩波茂雄宛書簡がある。 小林勇は、翌1929(昭和4)年鉄塔書院を
設立、岩波茂雄の次女小百合と結婚、小泉信三著『リカアドオ研究』を出版す
る。 小林勇は1934(昭和9)年、幸田露伴、寺田寅彦、小泉信三のすすめに
より岩波に復帰、1938(昭和13)年岩波新書の創刊に携わる。
 1937(昭和12)年岩波文庫『福翁自伝』出版。 校訂にあたったのが富田
正文だったが、小泉信三は小林勇宛書簡で富田に謝礼を出してもらえるか「富
田君なる人物は、心事頗る高尚にて、自分の取るべき報償などの事に付き曾て
小生等にも要求を漏らしたる事なく、従つて校訂の困難などに就いても吹聴せ
ぬ人に付き」と「能書き」を述べている。
 1942(昭和17)年12月、岩波文庫『学問のすゝめ』刊行。
 戦後、1950(昭和25)年初秋、岩波書店の一室に福沢著作編纂の事務室が
おかれる。 この年、岩波書店に入社した竹田行之さんは、隣のデスクにいた
そうだ。 翌1951(昭和26)年5月、小泉信三を理事長に福澤諭吉著作編纂
会設立、『福澤諭吉選集』8巻の刊行が始まる。 1958(昭和33)年、福澤著
作編纂会は慶應義塾に著作権を寄付、創立百年記念『福澤諭吉全集』21巻の刊
行が開始される。