福沢索引2006年12月のブログ・川口浩教授の「日本的経営者 武藤山治」[昔、書いた福沢250] ― 2020/04/28 06:55
25日「等々力短信」第1130号「武藤山治の先見性」の武藤山治について 川口浩教授の講演を書いていた。
「耳学問」のすすめ<小人閑居日記 2006.12.13.>
福沢関係の「耳学問」で、宿題になっているものが、溜まってきたので、自 分の尻を叩くために書き出しておく。 福澤研究センターの2006年度秋学期 の「近代企業家と福澤諭吉」をテーマにした三田演説館での講演会三つ、11月 7日の川口浩早稲田大学政治経済学術院教授の「日本的経営者 武藤山治」、11 月17日の武田晴人東京大学大学院経済学研究科教授の「荘田平五郎と三菱の 経営近代化」、12月1日の高村直助横浜市歴史博物館館長の「会社の誕生」。 福 澤諭吉協会のものは、12月2日の岩波セミナールームでの読書会、坂井達朗同 協会理事(帝京大学教授、慶應義塾大学名誉教授)の「明治17~18年の『時 事新報』を読む」、12月9日の交詢社での第100回土曜セミナー、坂野(ばん の)潤治東京大学名誉教授の「幕末・維新史における議会と憲法―交詢社私擬 憲法の位置づけのために―」である。
毎度書くけれど、福澤研究センターのそれは「広く一般の方々を対象として」 公開されている(福澤諭吉協会の行事は会員が対象)。 同様に、福沢の時代の 三田演説会以来の伝統だろう、慶應義塾が主催する三田演説会やウェーランド 経済書講述記念日の講演会、小泉信三記念講座や創立150周年記念事業の「復 活!慶應義塾の名講義」シリーズも、だれでも、しかも無料で、聴くことがで きる。 それなのに、せっかくの良い講演に、集まる人の数はけして多くはな いのだ。 もったいない限りである。 落語を一緒に聴きにいく仲間には話を して、ぼちぼち聴きに来るようになった。 出席してみれば、その良さを納得 するようだ。 慶應義塾のホームページを見ていれば、日程が出る。
「日本的経営者 武藤山治」<小人閑居日記 2006.12.14.>
11月7日の川口浩早稲田大学政治経済学術院教授の「日本的経営者 武藤山 治」から始めることにする。 小室正紀(まさみち)福澤研究センター所長の 紹介によると、川口さんは日本経済思想史(江戸時代)の第一人者で、早稲田 の野球部部長、神宮のベンチにその姿があるという。
武藤山治(慶応3・1867-昭和9・1934)は、明治6年に7歳で制度が出来 たばかりの小学校に入学、14歳で幼稚舎から慶應義塾に入り、18歳で卒業、 アメリカに留学、27歳で三井銀行入行、翌年三井内部の人事異動で鐘淵紡績に 移り、64歳で鐘紡の社長を辞任するまで、その働き盛りの30数年間を鐘紡に 捧げた。 自分の言葉で「独裁的に支配」と言っているという。 当時の最先 端の教育を受け、近代的企業が始めて出てくる(どうやっていいかわからない) 時期に、近代的経営者として活躍した。 私生活では神戸の西洋館に住み、朝 食はコーヒーにトースト、東京の常宿は帝国ホテルだった。 川口さんは、武 藤山治には、そうした近代的で、モダンな「成功した経営者」という一般の評 価ではとらえきれない側面があるという切り口で、この日の話をした。 武藤 山治は、そうした外見的な見え方とは違って、案外、日本の社会に馴染んだ人 だったのではないか、というのである。
川口浩さんは武藤山治を、江戸時代からの、19世紀末当時の日本社会が持っ ていた規範に則った「日本的経営者」「健全な常識人」だとする。 武藤の強い 倫理観、生真面目さ、真摯に全身全霊をもって働く真面目な人柄に、父親の大 きな影響をみる。 美濃国安八郡脇田村(今の岐阜羽島から車で20分)の地 方名望家だった父・佐久間国三郎は教育・学問に一定の関心を持ち、ポケット マネーで小学校をつくるような人だった。 読書好きで、儒教の本から福沢諭 吉の『西洋事情』まで読み、それが武藤山治の慶應義塾入学の端緒になった。
「日本的経営」の考え方<小人閑居日記 2006.12.15.>
川口浩さんは、武藤山治を「日本的経営者」と見る、4つの要素をあげ、そ の組み合わせであるとした。 (1)経験的・現実的に対応する思考法。 一定の原理原則を前提において、 それで発想するのではなく、目の前にあることを正確に認識して、発想する。 これは江戸時代人の考え方。 たとえば、人間は何をしても褒美を受けること を予期しているから、どんな仕事でも最高の働きをさせるためには褒美が絶対 に必要だ、という。 (2)「家」をモデルにした人間観・社会観。 根源的な人間関係のあり方で ある「家族」は、調和のある統一体で、調整不能なものはなく、構成員はなす べきことをする。 「協同一致は自然の法則なり」。 その「家」のあり方が、 他の人間集団にも適用、応用できる。 その原則が、家→会社→国というよう に同心円的に適用できる、と考える。 「鐘紡の経営法を家族制度に基く」「鐘 紡は大なる家庭である」 (3)責任論・職分の意識。 それぞれの立場で、やるべきことをきちんと やる。 自分の役割を果す。 身分に応じた職分を果す。 その責任を尽くす ものは、はじめて人の道を尽くし得る。 (4)「実利」を求める企業経営のあり方。 経営責任については、自分は「株 主」と「従業員」の間にはさまった「番頭(経営者)」であるとする。 改良・ 進歩の果実は、構成員全員に分け与えられていくもの。 株主には利益の配当 を、従業員の職を守り、幸福増進のためにいろいろな設備をし、至れり尽くせ りの待遇を計る。 社会に対しては、最良の品物を、最も安く供給することが、 社会の「実利」になる。
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