國民會館設立趣意書と、武藤記念講座2020/05/05 07:04

 『武藤山治の先見性と彼をめぐる群像~恩師福澤諭吉の偉業を継いで~』(文 芸社)の著者、山治の孫、武藤治太さんが会長を務める國民會館のホームペー ジに、武藤山治の「國民會館設立趣意書」があった。 昭和7(1932)年は88 年前、軍部の台頭が顕著となって上海事変が起り、満洲国が成立、井上準之助、 団琢磨が暗殺された年である。

 「我が国の立憲政治は、時代の推移と共に形式的進歩の著しきものあるに反 し、国民の智的進歩に至りては遲々として之に伴はず、政界の腐敗、政党不信 の声を聞く所以(ゆえん)なり。而して是れ実に政治家竝(ならび)に一般国 民の政治的無自覚と政治道徳の欠如とに依る所にして之を救ふは政府又は政治 家の任と云ふよりも寧(むし)ろ国民の自発的に行ふ可き急務なりと信ぜらる。 然るに世上、その必要を叫ぶ声のみ徒(いたず)らに高くして,然(しか)も其 の実行に至りては未だ曙光すら発見する能(あた)はざるは何ぞや。事の難き にあらざるなり、人の之を行はざるなり。/即ち政治教育の殿堂として國民會 館を設立するの趣意は、畢竟国民をして自ら政治教育運動に携はしむるの端緒 を作り以て我が国立憲政治百年の大計を樹立せんが為め敢て実行の第一歩を成 さんとするに外ならざる所以を茲(ここ)に明(あきらか)にするものなり。  昭和七年拾月壱日                  武藤山治」

 國民會館のホームページにある、武藤記念講座の講演記録が、充実している。  特に「武藤山治論」、武藤治太さんが武藤山治について語ったものが、それぞ れ興味深い。 「武藤山治と・・・」と、帝人事件、リンカーン、ナポレオン、 時事新報、國民會館の各論、さらに「鐘紡の興亡」、「武藤山治をめぐる群像」、 「國民會館の使命」、「同時代の数奇者達」などがある。

 昨日書いた、畠山茂さんのメールにあった息子の武藤金太さんの「理財をお えてのち美学美術史に再入学」(昨日初め「治太さん」と書いて、後刻、畠山 さんからご連絡頂き、訂正した)についても、こんな記録があった。 武藤治 太さんの「武藤山治と時事新報」という講演後の、質疑応答、質問4の答に、 武藤山治は子供に対しては自由放任で、金太さんが経済学部から文学部に相談 なく変わった時も、「そうか、しっかりやれ」と、なんら反対せず息子の判断 に任せた、と父から聞いている、と。