「おのがじし」道を開かむ ― 2020/05/12 07:02
4月24日と25日に勝手に付け句をして、「「初御空」の巻」を巻いた本井英 先生の「本井英の俳句日記」(ふらんす堂のホームページhttp://furansudo.com 「連載」参照)だが、5月8日は<騒然の巷や薔薇のおのがじし>だった。 「騒 然の巷」は、言うまでもなく、コロナウイルスの感染拡大で混乱する世相だろ う。 季題は薔薇、バラ。 「おのがじし」という言葉については、あとで述 べるように私の中学時代の思い出があるのだが、『広辞苑』を引くと「おのがじ し【己がじし】めいめい。それぞれ。各自。」とある。 世の中は騒然としてい るけれど、そんなこととまったく関係なく、この季節、いつもの年と同じよう に、バラの花はそれぞれに美しく咲いている、という句意かと思われる。
句につけられた日記は、本井英先生の高校時代の思い出で、「勉強が辛くなる と、いろんな空想をしてしばらく時間をつぶした。勿論「逃げ」なのだが、根 拠のない夢想はしばらく私を幸せにしてくれた。たとえばバンドボーイを振り 出しにして、バンドマンなんていう人生もあった。知りもしないくせに水商売 の女性と所帯を持つ夢を見た。」というものだ。 それで、というか、そして、 後に高校の教諭になられて、早期定年まで勤め上げられ、その教え子の何人も が、先生主宰の俳句結社の主要メンバーになっている。 私は残念ながら先生 より年上だから、高校では教わらなかった。 国語は、「慶應の三田です」とい う、「与太狭し」こと三田煕(ひろし)先生に習った。
そこで私の中学時代だが、白金の明治学院へ通った。 当時、明治学院の誇 る卒業生は、島崎藤村と賀川豊彦だった。 明治学院の校歌は、島崎藤村の作 詩である(作曲は前田久八)。 格調が高く曲も荘重で、「人の世の若き生命(い のち)のあさぼらけ 学院の鐘は響きてわれひとの胸うつところ 白金の丘に 根深く記念樹の立てるを見よや」と始まる。 「緑葉は香(にほ)ひあふれて 青年(わかもの)の思ひを伝ふ 心せよ学びの友よ新しき時代(ときよ)は待 てり もろともに遠く望みておのが志(じ)し道を開かむ 霄(そら)あらば 霄を窮めむ壤(つち)あらば壤にも活きむ」と、つづく。 ここに「おのがじ し」という言葉が出てくる。
藤村が「おのが志し」と書いていたことは、これを書くのに明治学院のホー ムページを見るまで知らなかった。 頭の柔らかい内に憶えたから、この校歌 は今でも歌えるが、「おのが志し」は「おのがじし」だったし、「霄」は「空」、 「壤」は「土」だった。 『広辞苑』の「おのがじし【己がじし】だけれど、 説明文のあとの用例に、「万葉集(12)「―人死にすらし」。藤村詩抄(自序)「― 新しきを開かんと思へるぞ、若き人のつとめなる」」とあった。 島崎藤村は、 『詩抄』の自序でも、明治学院校歌と同じことを説いていたのだ。
明治学院校歌の歌い上げは、こうなる。 「ああ行けたたかへ雄雄志(おお し)かれ 眼さめよ起てよ畏るるなかれ」。
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