『広辞苑』で「――ぶね」を逆引き検索・「あ」2020/05/14 07:08

 「湯治舟」をいろいろに探した余談である。 実は『広辞苑』には、「湯治舟 (船)」がなかった。 『広辞苑』に、ゆぶね【湯船・湯槽】はあって、「(1) 入浴用の湯をたたえておくおけ。浴槽。(2)江戸時代、内部に浴室を設け、港 湾の船や川筋に漕ぎよせ、料金を取って入浴させた小船。」だった。 さらに「湯 治舟(船)」が、どこかにないかと、電子辞書『広辞苑』の逆引き検索機能を使 って、「――ぶね」で検索してみた。 何と305見出しもヒットしたのである。  これが、知らない言葉ばかりで、まことに面白い。 島国日本の文化、経済、 政治における「船」の存在の大きさを思い知る。 「あ」だけから拾っても、 こんなのが出て来た。

 あくしょぶね【悪所船】遊里に通う船。

 あさづまぶね【朝妻船】(1)琵琶湖東岸の朝妻と大津を結ぶ渡船。古代から 近世初めまで東国から京坂への旅客が利用した。遊女が乗って旅人を慰めたも のもあった。(2)英(はなぶさ)一蝶が描いた絵。烏帽子・水干姿の白拍子が 小舟に乗り、鼓を前にした姿を描いたもの。将軍徳川綱吉の所業を諷したもの として一蝶が罪せられたことから名高くなり、この趣向を取り入れた歌舞伎の 所作事が作られた。(3)(浅妻船)歌舞伎舞踊。長唄。本名題「浪枕月浅妻」。 七変化の「月雪花名残文台(つきゆきはななごりのぶんだい)」の一部。2世桜 田治助作詞。2世杵屋佐吉作曲。3世藤間勘兵衛ほか振付け。1820年(文政3) 初演。

 あたけぶね【安宅船】(敵を恐れず荒れ回る兵船の意)室町末期から江戸初期 にかけて用いた、重装甲・重武装の伊勢船・二形(ふたなり)船。水軍の主力 艦とした。大船。安宅。

 あまのいわくすぶね【天の磐櫲樟船】…イハ… 楠(くす)で造った堅固な船。 日本書紀で伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の2神が子の蛭子(ひる こ)をのせて流したという。

 あまぶね【尼船】尼崎・大坂間にあった運送船。尼崎船。

 あやぶね【紋船・綾船】戦国時代、琉球国から薩摩の島津氏に世子嗣立を慶 賀するために派遣された使節船。船首に青雀黄竜が装飾してあるので竜舟とも いう。1481年から1611年までに13回派遣。近世、薩摩に服属以降は楷船(か いせん)と称し、年に春夏2回派遣された。

 あらきぶね【荒木船】長崎の貿易商荒木宗太郎(~1636)が海外貿易に用い た朱印船。