古地図、「入り口を正面に表わす名前の縦書き法」2020/06/07 07:45

 俵元昭さんのお手紙には、この発見を伝えたあと、さらに、この幕府普請方 作成図が、入り口を正面に表わす名前の縦書き法の始まりはいつ頃であったか、 実に法隆寺以来の和風建築図の作成に至る大問題に行き着くことを考えたけれ ど、さすがに、そこまでは寿命や建築学、宮大工研究などが必要で及びません、 とある。 「入り口を正面に表わす名前の縦書き法」について、ご著書『江戸 の地図屋さん』(吉川弘文館)を読んで書いたことがあったので、引いておく。

     等々力短信 第1002号 2009(平成21)年8月25日

                『江戸の地図屋さん』

 世の中、知らないことばかりだということを、またまた思い知った。 千号 を過ぎてもネタに困ることはなさそうだ。 千号に際して、俵元昭さんからご 著書『江戸の地図屋さん 販売競争の舞台裏』(吉川弘文館・2003年)を頂戴し た。 俵元昭さんには、短信に正続『半死半生語集』と『素顔の久保田万太郎』 (すべて学生社/677・705・722・723号)や「江戸切絵図の誕生」(863号) の話で登場していただいている。

 五街道雲助の「髪結新三」に始まり、ブログの日記で江戸の日本橋を散歩し ている。 この散歩には、手元の本にある「分間江戸大絵図」や「江戸切絵図」 が欠かせない。

 そこで『江戸の地図屋さん』だが、こんなことをご存知だったろうか。 江 戸の古地図に書き込まれた屋敷などの文字が、縦書きで四方八方、自由勝手な 向きに書いてあるのはなぜか? 文字の書き出しの頭が、門・玄関など、路面 からの入口の方にあてられているのだそうだ。 屋敷などの単位面積は当時、 現在と比べものにならないほど広かった。 この工夫がなければ、入口を探し て大回りしなければならなかったのだ。 「分間江戸大絵図」の「分間」とは 何か? 図上の長さの一分(一寸の1/10)が現地の実際の何間(十間とか十五 間)を示しているかという縮尺をいう言葉で、正確には「ぶけん」と訓むべき だろうが、今日では「ぶんけん」と読む習慣になってきたという。

 家康の江戸入国(天正18(1590)年)から数えて80年の、寛文10(1670) 年「江戸図の祖(おや)」と呼ばれる五枚組の『新板江戸大絵図』を遠近道印(お ちこちどういん)が制作した。 「絵図」というと測量していない絵画的な肉 筆見取り図といった印象があるが、実はこの地図、科学的な測量方法で、計測、 作図された航空写真並みに正確な地図だった。 この後、多数の地図製作出板 業者が激烈な競争を展開する。 明和6(1769)年に至って、携帯に便利な折 本江戸図『新編江戸安見(あんけん)図』が登場、以来74年間を超える超ロ ングセラーとなる。 「江戸切絵図の誕生」は幕末近い弘化3(1848)年だっ た。 お屋敷が沢山ある番町へ猟官請託や商品納入に行く下級武士や町人が、 番町の入口麹町の荒物屋・近江屋で道を聞く。 あまり聞かれるので、ついに 地図を刷った、素人ならではのブレイク・スルーだ。 一旦は正確な江戸図が 完成した後、二度の大変化を経て、歪んだ不正確なものに後退する半面、長年 の創意工夫の結実した便利で実用的な究極の切絵図に達し、爆発的に売れたの が面白い。