斎藤道三、親子二代の国盗り2020/06/26 07:11

 コロナ感染症の影響で、大河ドラマ『麒麟がくる』が、6月7日の「決戦!桶狭間」を最後に、こなくなった。 その間、『英雄たちの選択』や『歴史秘話ヒストリア』で「斎藤道三」「松永久秀」「織田信長」を扱ったのを見たことを書いておきたい。 「明智光秀」の前半生と「足利義輝」については、前に下記を書いた。

大河ドラマ、呉座勇一さんの見方と、『麒麟がくる』<小人閑居日記 2020.4.5.>

『麒麟がくる』の天文年間<小人閑居日記 2020.4.6.>

室町幕府第十三代将軍、足利義輝<小人閑居日記 2020.4.7.>

 そこで、まず「斎藤道三」。 『英雄たちの選択』3月4日放送の「戦国ミステリー 斎藤道三はふたりいた!?~戦国最大の下克上の真実~」。 斎藤道三は司馬遼太郎の『国盗り物語』などで、一介の油売りから国を盗った「美濃のマムシ」として知られる。 だが、同時代の史料が出て一変、親子二代の国盗りだと、わかったというのだ。 史料は「六角承禎(しょうてい)条書写」(永禄3(1560)年7月21日)、石川美咲福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館学芸員によると、道三の父、新左衛門尉は京都妙覚寺の僧で、法華宗僧侶には商人のネットワークがあり、大山崎のエゴマ油を売る油売りになった。 美濃は交通の要衝、守護代の斎藤家に出入りし、その家臣長井家の武士になる。 西村勘九郎と名乗り、武功を挙げて、長井の姓を賜り、長井新左衛門尉と改名し、現在の美濃市一帯を領有、美濃紙の流通を支配した。

 天文2(1533)年、長井新九郎規秀(=道三)はじめて史料上に登場、土岐頼純(よりすみ)と頼芸(よりなり)の対立に、頼芸と結託して頼純を追放、実権を握った。 長井家の惣領を殺し、長井家を乗っ取り、守護代斎藤利政と名を変える。 時代の求めた人物、行政実務担当者、ステップアップの巧みさ、「名跡家柄ロンダリング」。 場所の選び方が優れている、紙の集積地、長良川の川湊。

 6日に家康築城時の江戸城で登場した城郭考古学者の千田(せんだ)嘉博奈良大学教授が、ここで登場、岐阜城(稲葉山城)は、斎藤道三時代の石垣を織田信長が利用しており、その強固な構造により、その上に櫓(やぐら)を築けた。 道三の竪(タテ)町型城下町や自由な商取引も、信長の安土城や楽市楽座のお手本になった。 織田信長の経済重視も、親子二代だったことは、以前、信長の父、織田弾正忠信秀について、2011年に朝日新聞夕刊に連載された東郷隆さんの『青銭大名(あおぜにだいみょう)』で、経済力を武器に武将としてのし上がって行き、信長飛躍の基盤を築いた物語を興味深く読んでいた。

信長の父、織田弾正忠信秀の物語<小人閑居日記 2011. 8. 11.>

商都津島と勝幡(しょばた)城<小人閑居日記 2011. 8. 12.>

奇抜な戦略と、かわいい女<小人閑居日記 2011. 8. 13.>

信長、秀吉、官兵衛と「経済」<小人閑居日記 2014.5.14.>