大坂の陣は、スペインとオランダの覇権争い2020/07/10 07:11

 こうしたオランダの動きに、あせったスペインはロドリオ・デ・ビベロ総督が、徳川家康に鉱山技師というカードを提示した。 但し条件は、新たに採掘した半分の銀をスペインに渡す、オランダ人を国外に追放する、キリスト教会を建て宣教師を置く。 スペインは、キリスト教の布教と貿易が表裏一体だったと、フレデリック・フレインズ国際日本文化研究センター准教授は話した。 キリシタンが増えれば、その王となる形で征服できる。 オランダは、スペインがフィリピンやメキシコを、この方法で植民地にしてきたと家康に伝える。 家康はスペインとの交渉を打ち切り、キリスト教を全面的に禁止する。

 徳川家康の障壁は豊臣秀頼だった。 スペインは、豊臣秀頼に接近する。 西国のキリシタン大名、豊臣恩顧の大名らは豊臣の旗の下に結集し、戦国最後の決戦へ進むこととなる。

 アメリカ大陸での銀山発見以来、銀貨、世界で使われる国際通貨が出来た。グローバル経済が誕生し、世界を一変させる。 陶磁器、香辛料、絹織物など、国際貿易が活性化し、地球規模の経済が生まれる。

 大坂の陣(1614(慶長19)年-15(元和元)年)は、スペインとオランダの覇権争いだった。 宣教師が応援するキリシタン大名らの豊臣軍は10万の大軍を集め、スペインは武器調達でも活躍する。 最近発掘された大阪城の地下陣小屋跡から、つくりかけの鉄砲玉が出土したが、キリシタン商人が鉛を調達した。 攻めあぐねた家康は、大砲による攻撃を決断する。 オランダのパウエル・コットン博物館にある17世紀のブロンズ製カノン砲は、秒速340m、射程500m以上の威力があった。 家康は、大坂城の天守と御殿を、この大砲で直撃し、多数の死傷者を出した秀頼は戦意を喪失した。 豊臣家は滅亡する。

 オランダ東インド会社は、大砲と砲弾で銀貨1万2千枚を入手する。 最盛期には、年94万トンの銀が日本から運び出された。 戦国最後の合戦の知られざる秘密である。

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